[03]病棟の女王

 当時、大阪市北区堂島にあった阪大病院は、横長の9階建てで、東西の病棟に分かれていた。その西側の7階、通称「西7」が、第二外科の病棟だった。

真ん中に詰所があり、研修医の大机と看護師(当時は看護婦)の大机が左右に配されていたが、右側の奥にもう一つ机があって、そこに鎮座しているのが看護師長(当時は婦長)だった。

 ボクが研修をはじめたときのS婦長は、でっぷりとした大柄で、女性版のパンチパーマのような短髪に大らかな風貌で、見た目は“肝っ玉かあさん”だったが、実態は病棟の女王だった。

 何しろ勤続30年近い大ベテランで、准教授が研修医のときからこの病棟にいたというのだから、教授以外はだれも頭が上がらない。今は医局のナンバー2たる准教授も、我々同様、右も左もわからない研修医時代を知られていれば、弱みを握られているのも同然だろう。

 実際、S婦長は詰所でも、講師をはじめとする指導医たちに、「先生、だめじゃない」とか、「何やってんの」とか、遠慮のない言葉を放ち、ときに露骨なため息をついたりした。それを横目で見ながら、我々研修医は現場では医シャより看護師のほうが偉いんだなという実感を植えつけられたものだ。

 指導医たちが下手に出るのは、未熟な研修医時代を知られているからだけでなく、患者を入院させるときに、S婦長の許可が必要だったからである。厄介そうな患者を入院させるときなどは、「婦長さん、お願い」と拝むように手を合わせたりする。ふだん偉そうにしている講師や准教授が、なぜそこまで低姿勢なのかと思うが、理由は十分な看護態勢が調わなければ、適切な医療も患者の安全も保証できないからだ。

 親分がそういう姿勢だから、部下の看護師たちも医シャに対して高圧的で、特に研修医などはヒヨコ扱いだった。意地の悪い看護師に当たると、患者さんの面前で、「先生、それちがってますよ」などと注意され、恥をかかされる。腹立たしいが、研修のはじめのころは看護師のほうが現場をよく知っているので、従わざるを得ない。

 悔しまぎれに、「信頼に関わるから、注意は後でしてくれ」と言うと、「それは失礼しました。早く信頼される医師になってくださいね」などと言い返される。

 しかし、中には優しい看護師もいて、ガーゼ交換のときなど次の手順がわからなくて戸惑っていると、黙ってピンセットや綿球を出してくれる。当然のような顔をして受け取るが、胸の内ではいつも「ありがとう」とつぶやいていた。

 ガーゼ交換は、手術後の患者さんのガーゼを取り換える処置で、看護師といっしょに処置用具を載せたワゴンを押して病室に向かう。傷を消毒して新しいガーゼで覆うだけの処置だが、ドレーンという管が入っていたり、傷が発赤していたり、縫合糸膿瘍(糸の感染)があったりして、そのつど処置を変えなければならない。

 手術創の抜糸も行い、1週間後にまず“半抜糸”(1つ飛ばしに抜く)をして、問題がなければ、翌日“全抜糸”をする。メスで深々と切られた傷が、1週間たつと、まるで接着剤でくっつけたようになるのを見ると、生きた細胞の力を実感した。

 ガーゼの交換は看護師との共同作業なので、はじめるタイミングがむずかしい。迂闊に声をかけると、「今、忙しいんです」などと、ピシャリと断られる。そんなとき、医シャの権威を振りかざして強要したりすると、あとで看護師から総スカンを食い、仕事がやりにくくて仕方なくなる。看護師に好かれているオーベンの中には、「おい、行くぞ」と、強引に看護師を引っ張り出す人もいたが、それは特例で、ボクのオーベンのK先生などは、嫌われているのを自覚していたから、自分でワゴンを押して単独で行くことが度々あった。

 独り立ちをした後は、看護師の手が空いていそうなときを狙って、「ガーゼ交換に行こうか」と声をかけるのだが、何度か断れると、「今、いいかな」と気弱になり、さらに冷たい扱いを受けると、「行ってもらえる?」とお願いベースになる。

 うまく看護師を連れ出せても、廊下に置いてあるワゴンが出払っていたりすると、先に確かめとけよ、使えないヤツ、という看護師の視線に耐えながら、「申し訳ない」と謝らざるを得なくなる。

 こんな状況も、“女王”が君臨していたからこそだろう。バカに疲れる作業だったが、おかげで少しは共同作業の基本を学べたかもしれない。

(2021.10.04更新)