[42]幼なじみの入院

 第二外科での研修が終わりに近づいたある日、血液内科の研修医だったTが、「おまえの幼なじみが入院してるぞ」と教えてくれた。

 Z・Jちゃんと言い、家が近所で同じ幼稚園に通っていた。いっしょに登園したり、Jちゃんの家に遊びに行ったり、2人で金魚すくいをしたりした。目に特徴のあるおしゃまな感じの女の子で、ウェーブのかかった髪をよくポニーテールにしていた。

 小学校では同じクラスにならず、途中で転校したので、それ以来、音信は不通になっていた。

 教えられた病室に行くと、たしかにJちゃんが入院していた。やや面長になっていたが、目の感じは幼稚園のころそのままだった。

「クゲくん、久しぶり。ほんまにお医者さんになってたんやね」

 Jちゃんは白いネグリジェを姿で、ベッドに半身を起こしてボクを歓迎してくれた。声は聞き覚えのある温かいかすれ声だった。

 部屋は個室で、壁に彼女が描いた歌手のイルカの絵が貼ってあった。虹の下でサロペットに白いTシャツを着て、麦わら帽子をかぶったイルカのイラストだ。クレヨンで彩色され、幼女のように笑っていた。

「あたし、イルカちゃんのファンやねん」

 絵をほめると、Jちゃんは嬉しそうに応えた。

 病室では、幼稚園のころの思い出や、むかし近所でいっしょに遊んだ友だちの話をし、Jちゃんも自分のOLの仕事のことなどを聞かせてくれた。

 病気については、少し困ったような顔でこう説明した。

「友だちと香港に買い物に行って、帰ってきたら、なんか身体がだるくて、午後になったら、微熱が出るようになったんよ。近くのお医者さんで診てもろたら、すぐ大きな病院へ行けって言われて、それで阪大病院を紹介してもらったの。そしたら、ちょっと質の悪い貧血やって言われてね」

「そうなんか。けど、まあここに入院してたら安心やろ。頑張って治療しいや」

 そう励まして。ボクは病室を出た。

 Jちゃんは貧血と言ったが、Tから聞いていた病名は白血病だった。

 Tによれば、今は白血病の治療も進んでいて、まずは強力な抗がん剤で「寛解導入療法」をしてから、複数の抗がん剤を使う「地固め療法」をやるとのことだった。そのあとは、ようすを見ながら予防的な「維持療法」に移行するという。

 ボクはそれまでに、同級生の女の子を2人、白血病で亡くしていた。

 ひとりは小学56年生のときに同じクラスだったM・Mちゃん。おでこの目立つ丸顔で、はにかみ屋だけれど、明るい女の子だった。グループ学習のときにいっしょに勉強したりした。

 Mちゃんはあるときから学校を休むようになって、先生からむずかしい病気だと知らされ、みんなでお見舞いの寄せ書きをしたりした。クラスの女の子たちは、自宅に見舞いに行き、ボクも行かなければと思っていたが、そうこうするうちに中学生になり、時間がすぎてしまった。

 訃報は突然もたらされた。夏の暑い日で、ボクは信じられない思いだったが、どうしようもなかった。葬儀には参列し、遺影に手を合わせたが、人生には取り返しのつかないことがあると、このときはじめて痛感した。

 もうひとりは、Y・Tちゃんといって、小学34年生のときに同じクラスで、ボクが密かに想いを寄せいていた相手だった。体格が立派で、スポーツ万能、姉御肌の女の子だった。ボクは常に意識していたが、彼女のほうは見向きもしてくれなかった。56年は別のクラスになり、そうなると話しかけることもできず、ボクは3階の教室の窓から、Tちゃんが運動場で遊んでいるのを、うら淋しい気持ちで眺めたりした。

 Tちゃんは私立の中学校に行ったので、それきり会わなくなったが、高校のときに一度、通学の電車で見かけた。彼女は気づかなかったようだが、ボクは懐かしいような、ほろ苦い思いで密かに彼女を見た。

 彼女の訃報も突然もたらされた。知らせてくれた同級生に聞くと、死因は白血病とのことだった。知ったのは葬儀も終ったあとだったので、遺影を拝むこともなかった。

 Jちゃんはしばらく入院していて、無事、地固め療法を終え、完全寛解(白血病の細胞がほぼ駆逐された状態)となって退院した。

 それから約1年後、通勤の途中で偶然、出会ったTから、Jちゃんが亡くなったことを知らされた。退院後、「維持療法」のために再入院して、そのときに使った抗がん剤の副作用で、肺炎を起こしたとのことだった。

 Tは半ば申し訳なさそうに、半ば仕方なさそうに、淡々と言った。

「Zさんは、最後は病院を恨んでたと思うで。維持療法は症状がない状態でやる治療やから、身体は何ともないのに、入院させられて、強い薬を投与されて、その副作用で亡くなったんやから」

 よかれと思った治療が裏目に出る。本人も家族も、どれほど悲しみ、苦しんだことだろう。悔やんでも悔やみ切れない医療の現実だった。