[18]夏休み一番乗り

 研修医にも夏休みが2日あり、指導医から順に休むようにというお達しがあった。

 本格的な研修は7月にはじまったばかりだったので、熱心な研修医たちはなかなか休みを取ろうとしなかった。やる気がないと見なされることを警戒したのかもしれない。ボクはそういうことは気にしないので、先頭を切って7月の後半に休むことにした。月曜と火曜にしたのは、日曜と合わせて3連休にして、妻とドライブ旅行に行こうと思ったからだ(当時は土曜日も勤務があった)。

 日曜の早朝、午前4時前に出発して、まだ明けやらぬ西名阪道を東へ向かった。行き先は三重県志摩半島の御座。ここはボクの母方の祖母の故郷で、子どものころから毎年、夏休みに出かけていた。

 日の出を見ながら気持ちよくドライブして、鳥羽からパールロードを走り、「日本の灯台50選」にも入っている大王崎の灯台を見て、英虞湾を抱える細い半島の先端に向かった。御座に着いたのは、午前9時ごろだった。

 御座には白良浜という海岸があり、文字通り、砂時計に入れたくなるほど細かくて白い砂の浜辺が広がっている。海の家やパドルボートを貸す店などもあり、海水浴場として賑わっていた。

 余談だが、ボクが子どものころ、堤防の内側に掘っ立て小屋のような簡易トイレがあった。小学5年生のとき、個室に入ると後ろの板壁に小指ほどの節穴が開いているのに気づいた。のぞくと、となりの個室の金隠しがこちら向きにあるのが見えた。

 どういうことか。

 考えるまでもなく、となりに女の人が入ったら、こちらに向いて水着を下ろすということだ。ボクは心臓が胸板を痛いほど打つのを感じながら、のぞき穴に顔をつけて息を殺した。しばらくすると、30歳くらいの女性が入ってきて、何の恥じらいもなく緑色の水着を下げた。板塀越しに見たそれは、思わず後ろにのけぞりたくなるような強烈なモノだった。今もその映像は鮮明に覚えている(白い腹部と濃い陰毛が見えただけですが)

 その経験は、約50年後、短編小説のアイデアを捻り出そうと考えあぐねていたとき、ふいによみがえり、「のぞき穴」という作品のモチーフになった(小説では女性の自慰を目撃したり、のぞきがバレてつかまりそうなったりしますが、それはフィクション)。

 閑話休題。

  御座に着いたあと、民宿に車を置いて、さっそく妻と2人で泳ぎに出かけた。件のトイレがまだあるかと、密かに期待したけれど、幸か不幸かトイレはプレハブに変わっていた。

 ボクたちは、まるで母親の葬儀のあとに海でたわむれたムルソーとマリイのように、真夏の太陽の下で休日を満喫した。海の中から太陽を見上げたり、パラソルを立てて昼寝をしたり、岩場でシュノーケリングをしたり、砂の城を作ったり、病院のことはすっかり忘れて楽しんだ。

 祖母は数年前に他界していたので、夕方、その空き家を見に行き、夕食のあとは浜辺にもどって花火をして、妻と2人、星空の下で踊った。

 次の日も泳いだり、弘法大師が開いたという爪切り不動尊に参ったり、夜にはまた花火をしたりして、楽しくすごした。

 3日目は早朝に民宿を出て、伊勢神宮に寄って、午前9時半ごろ帰宅した。一応、病院に電話をして、問題があれば出勤するつもりだったが、代理を頼んでいたのんきな同僚のOにようすを聞くと、異常なしとのことだったので、翌日からの勤務に備え、家でゆっくりした。

 学生のころは2カ月近くあった夏休みが、たったの2日になってしまい、がっかりだった。それでも、短いなりに思い切り楽しんだ。しかし、これからずっと短い夏休みが続くかと思うと、気持ちが沈んだ。

 そのころ、ボクの頭にあるのは自分のことだけで、休んでいる間、患者さんが病院で不安な時間をすごしていることなど、想像もしなかった。医療者としての自覚ゼロ。研修医としての向上心も皆無。何を考えているのかわからないヤツ。まわりから見ると、まさに「異邦人」のようだったかもしれない。