[04]不安な当直アルバイト

 研修医の夜のお仕事に、一般病院の当直のアルバイトがあった。オーベンの研修医からを引き継ぐもので、ボクもK先生から2カ所のバイト先を紹介してもらった。

 当直のアルバイトはいわば夜間の留守居役で、入院患者に必要な対応(看取りもある)と、救急外来の患者さんの診療が主な仕事だ。

 最初の2回はK先生といっしょに当直したが、あとはひとりで行った。運がよければ寝ているだけの楽なバイトだが、運が悪いと何度も起こされ、翌日は寝不足のまま仕事をしなければならなくなる。若いから耐えられたのだろうが、夜中の緊急手術で一睡もせずに大学病院にもどったこともあった。

 はじめのころは、当然、不安だった。ボクは外科の研修医だが、夜間の救急外来にはあらゆる科の患者が来る。もちろん、どう対応していいのかわからない。そんなときのために、たいていの当直室には、『今日の治療指針』という分厚い本が備えてあった。これにはすべての科のあらゆる病気の治療法が書いてあるので、これさえ読めばたいていの患者に対応できた。

 救急外来の患者が来ると、看護師から当直室に電話がかかる。すぐに出動するのではなく、まず「どんな患者さん?」と聞く。あらかた症状を聞いて、貧弱な知識を総動員して、該当しそうな病気を思い浮かべる。慣れた看護師だと、「尿管結石の発作です」とか、「熱性けいれんです」などと教えてくれる。そうなればしめたもので、『今日の治療指針』の該当箇所を頭に叩き込んで、やおら白衣を羽織り、外来に下りていくのである。

 重症やほんとうに緊急性のある患者さんが来た場合は、その病院の院長や常勤医に連絡する。院長らは自分の病院で医療ミスがあったら困るので、たいていすぐに駆けつけてくれる。つまらないことで呼んでも、めったに怒られない。ボクは鼻血が止まらない患者が来たとき、1時間頑張っても止血することができなかったので、院長に来てもらった。そのときも院長は怒らず、ベロックタンポンという特殊な止血法を教えてくれた。病院としては、常勤医を呼ばずに研修医が勝手な処置をするほうが心配なのだ。

 そんな新米が当直していると知ると、患者さんは不安になるだろうが、泊っている研修医も不安だった。万一、医療ミスを犯すと大問題だし、場合によっては医療訴訟、医師免許の剥奪にもつながりかねないからだ。

 実際、ボクの身近でも恐ろしい話が伝わっていた。未熟な判断ミスや、対応のまずさが原因で、後日、患者さんが亡くなったというのだ。いずれも常勤医を呼べばよかったのだろうが、その場ではそういう判断に至らなかったらしい。

 一般にこういう状況を放置していてはいけないということで、2004年の新診療研修制度では、研修医の当直アルバイトが禁止された。当然のことと思われるかもしれないが、これには大きな弊害があった。

 そもそも研修医がアルバイトに行くのは、月10万円ほどの研修手当だけでは生活できないからだ。新臨床研修制度では、アルバイトを禁じる代わりに、研修医の手当を30万円程度に引き上げた。実力もなく、指導医にいろいろ教えてもらう立場の研修医が、そんな高報酬を受け取るのはおかしい。指導する助教のほうが薄給という事態も生じている。

 さらに、安い当直料で来てくれていた研修医が来なくなり、ベテランに頼むと当直料が嵩み、それを避けると常勤医の当直ローテーションが厳しくなり、経営不振や激務に耐えかねた医師が退職する病院が増えた。大学病院への医師引き上げも重なって、医療崩壊が進んだとも言われる。

 そればかりか、新卒者が大学病院ではなく、一般病院で研修するケースが増えて、医局制度の崩壊にもつながった。医局制度には問題もあったが、医師の信用保証や、僻地病院への医師派遣、人事の調整、トラブルの解決など、担ってきた役割も多い。

 研修医の当直アルバイトも、危険はあったが、たいていの場合は常勤医を呼ぶことで事なきを得ていたし、ボク自身振り返っても、ひとりで当直することでいろいろなことを学び、自信を深めることもできた。

 問題があるから改善するという姿勢では、新たに想定外の問題が起こる。問題があっても、ある程度は受け入れるほうが無難かもしれない。

(2021.10.11更新)