[54]西梅田のホームレス

 当時、大阪の堂島にあった阪大病院には、地下鉄四つ橋線の西梅田駅から歩いて通っていた。

 今はいないけれど、そのころの地下道にはホームレスが棲みついていて、ダンボールを敷布団、新聞紙を掛け布団にして、デパートのショッピングバッグに家財道具を詰め込んで生活していた。着の身着のままで、顔は垢と日焼けでなめし皮のようになっており、伸び放題の髪はもつれにもつれて、飴で固めたようになっている人もいた。

 朝、彼らのいる場所とは別に、地下鉄の駅は通勤の男女でごった返していた。だれもが決められた時間に、決められた方向に、靴音も高らかに足早に歩いている。階段、改札、スロープ、連絡路と、何かに追い立てられるように、毎朝同じ時間に同じ目的地に向かう。いずれもきちんとした身なりで、靴も鞄もヘアスタイルも、一分の隙もないまっとうな社会人ばかりである。

 ボクもその中に紛れ、毎朝、時間に追われて大学病院に向かっていた。いやだなと思いながら、家で遊びたいな、小説を書きたいなと思いながら、それでも仕方ないと思いながら──。

 そんなとき、奇妙な風体の男が、通勤の人混みの中をふらふらと、流れとは逆方向に歩いているのが目についた。男は明らかにホームレスで、かなり年季が入っているらしく、垢じみてほとんど色を失った上着は、袖や肩がテカテカに黒光りし、灰色のズボンは裾がビリビリに破けて、ちぎれた布キレが短冊のようにぶら下がっていた。足もとも覚束なく、酒焼けしたような顔は皺が深く、破れ帽の下からはみ出た蓬髪は、まるで濡れたモズクのようだった。

 そのホームレスが、漂うように人混みを逆方向に歩きながら、ニヤニヤして何かしゃべっている。

 あるとき、彼がふとボクの目の前に現れ、嘲笑うようにつぶやいた。

「よう働くなぁ。おまえ、ほんまによう働くなぁ」

 熊のような黒髭の間に見える唇は、唾液で光っていた。ボクは一瞬、ぎくっとして立ち止まり、そのホームレスを見つめたが、相手はニヤリと笑っただけで、そのまま通り過ぎていった。

 それからボクは、そのホームレスを見つけるたびに、目立たないように近寄って、通勤の人々にどんな言葉をかけているのか、耳をそばだてた。

 彼は自分だけが現実から遊離したように、人々とは流れる時間も、見える風景もちがうと言わんばかりに存在していた。そして、不意打ちのように歩く人の前に立ち、「しんどないのんか」とか、「毎日おもろいんか」などと聞いていた。ときにはだれかを呼び止めるように手招きをし、「なあ、なんでそんなに働くねん」と、首を傾げる。もちろん、真剣に答えを求めているのではなく、まじめな勤め人たちをからかっているのである。

 聞かれたほうは、一瞬、たじろぎ、不快そうにしたり、女性などは怖がったり、エリートらしいサラリーマンは苦笑したりしながら、すぐにもとの仮面のような無表情にもどって、目的地に向かって歩きだす。

 ボクはそのホームレスを見て、心底、憧れめいたものを感じた。自由気ままで、何の義務も束縛も役割もなく、1日中、ヘラヘラと笑っていられる。

 ──ボクもホームレスになりたい! なれればどんなにいいだろう。

 そういう甘ったるい羨望は、若かったがゆえの気の迷いだろう。

 後年、『破裂』という小説を書いているとき、主人公の麻酔科医がホームレスになる場面を書くため、大阪駅の地下でひと晩、ホームレス体験をしてみた。3月の寒い夜で、酔えば眠れるかと思い、ビールを飲んで、そこらで拾ったダンボールを敷き、ボロコートをかぶって寝ようとしたが、寒い上に身体が痛くてとても眠れず、午前3時ごろにたまらなくなって地上へ出ようとしたら、出口がすべて閉まっていて、焦りながら徘徊して、工事中の出口からようやく脱出した。深夜喫茶にもぐり込んだものの、そこでも眠れず、始発電車が動きだすのを待って、這々の体で自宅にもどったことがある。

 慣れれば凌げるのかもしれないが、ホームレスの現実がいかにつらく苦しいものか、40代の終わりにしてはじめて思い知ったのだった。

[53]緊急止血手術

 麻酔科の研修で忘れることができないのは、当直の夜、特殊救急部で見た光景だ。

 緊急手術があるというので手術部で用意をしていると、患者さんは重症で、手術部に上げる前に特殊救急部で開腹したと連絡が来た。46歳の男性で、仕事中にプレス機にはさまれて、腹腔内出血で運ばれてきたらしい。

 ようすを見に行ったときのメモが残っているので、多少捕捉してほぼそのまま採録してみる。

『部屋(特殊救急部)に入ると、いつも見慣れた手術とはまったくちがう光景に出くわした。患者はすでに開腹され、小腸、大腸、大網は腹腔外に露出しているのに、患者に覆布もかかっていなければ、消毒した跡もない。術者も緑色の手術着を着ずに、手袋とビニールエプロンだけでマスクもしていない。床を見ると、一面に血がこぼれており、周辺には血に汚れたスリッパの跡がいくつもついていた。三人の術者の足は真っ赤に染まり、白衣のズボンには吹き付けたような血痕がついている。看護婦に聞くと、下大静脈が破れて後腹膜で大出血を起こしているということだった。

 患者は手術台に移される間もなく、輸送用のストレッチャーの上で、即、開腹となった。経口挿管され、人工呼吸器が作動している。心電図の甲高い音が、早鐘のごとく鳴っている。両鎖骨下と左大腿静脈に三本の点滴ルートが確保され、研修医と看護婦が三方活栓を操作して、五十ccの注射器でパックから血を吸っては輸血している。支柱には空になった輸血パックが鈴なりに吊してある。術者は腕まで腹の中に入れて、懸命の止血をしている。出血点がはっきりせず、しかも複数であるらしい。次から次へと鉗子をつっこみ、パチリパチリと止めていく。組織を剥離し、切り裂いて、一刻も早く出血点に到達しようとしている。その素早さ、荒っぽさは予定手術では考えられないほどのものだ。術者は怒鳴る。若い看護婦は血の気の失せた顔で右往左往している。誰かがコードを引っかけて、術野を照らすライトを切ってしまった。術者は「何してくれんねん」と怒鳴りながらも操作の手を緩めない。「早よつけんか! 鉗子、リスター、クーパー!」次々と器械を要求する。「吸引、吸引せんか!」若い看護婦が怒鳴られる。「マーゲン(胃)!」と言って、術者は切断した胃を後ろも見ずに投げた。胃はベチャッと床に落ちて溜まった血をはねた。しかし、だれもそんなことには目もくれない。

「いったいどこやねん。吸引、吸引してくれよ」「先生。ヘルツ(心臓)がおかしいです」「何ぃ。そらあかんがな」

 それまで早打ちしていた心電図の音が、急に乱れてピピピピピという持続音に変わった。「しっかりブルート(血)押さんかい」「メス!」術者は腹から手を抜くと、一刀のもとに左の胸を切り開いた。あまりに切れ味のよいためか、それとも出血しすぎて血がないのか、切り口には黄色い脂肪が見えるだけで、一滴も血は出なかった。「開胸器!」銀色の開胸器がかけられ、サッサッと胸膜、心嚢を切り裂くと、細かく震える心臓が現れた。「しっかりもめ!」開胸式の心臓マッサージをほどこす。「ちゃんと届いてるんか」「いえ……」「どけ、もう」術者は慌ただしく交替し、一心不乱のマッサージがはじまる。「ボスミン(強心剤)!」「もっと細い針に替えて、ブルー針に決まってるやろ」「あかん、腹から出とんねや。吸引せえ。もっとブルート押さんかい」「カウンターショックや。取ってこい」看護婦が鉄砲弾のように飛び出す。「ここにあるやないか。準備せえ」電気除細動器がセットされる。二つの端子で心臓をはさむように胸にあてがう。「行くで。行きまっせ。それ!」ガタンと音がして、患者の体全体がストレッチャーの上で跳ねる。「どや」「動かんかい」「ボスミンや。ボスミンをもう一本吸うてくれ」「これ何本や」「三本です」「カテラン針にせえ」瞬時を惜しんでの心臓マッサージが続く。

「ブルートありません」「何ぃ、頼んだあんのか」「十パック言うてます」「足るか。誰のでもええ。A型の血、みな持ってこい」「あ、日赤の車来ました」看護婦が取りに走る。自動扉が開いて、日赤の職員が血液パックを入れた籠を持って立っているところへ看護婦が走ってきて、もどろうとすると、日赤の職員は「あの、一応サインしてもらわんと」とボードにはさんだ書類を見せた。

 術場では再三カウンターショックが用いられている。その度に患者の身体はガクンと飛び上がる。ショックをかけては心臓の動きを見る。心臓はしばらく弱々しく拍動し、また細かく震えだす。「もう一回、ボスミンや」「もっと元気よう動かんかい。しっかり打たんかい」「ここまでやったんや。ヘルツでへばるやなんて殺生な。頼むわ。動いたってぇな」「先生、そけい部、腫れてきました」「うん。下にももれてるからやろ……。しっかり入れてんのか」「入れてますけど」「何ぼ入れてもアカンわ。後腹膜にもれて、ヘルツまで返ってこんわ」「外来で腹開くの、久しぶりやな……

 術者は心臓マッサージの手を離した。細かく震える心臓を見ている。「もう一回だけショックやるか」ガクンと患者の身体が跳ねて、腕がだらりと台から垂れた。「何ぼ入れても返ってこん。ブルートもうええわ」

 術者の手の動きが急に緩慢になった。人工呼吸器だけが空しく肺を膨らませている。

「血の海言うけど、こりゃ血の山やな」床の上で凝血した血の塊が積み重なって盛り上がっていた。』

 この患者さんは、結局、両側の腎静脈断裂と左腎動脈断裂、膵頭部断裂で、大出血を起こしたのだった。ドラマや映画では、凄絶な救命処置で患者さんが奇跡的に救命されるのだろうが、現実ではそういうことは起こらない。

 メモの最後にはこうある。

『患者の蒼白な顔は、浴びた自らの血しぶきを除けば、やすらかな寝顔だった』

[52]笑気ガス体験

 笑気ガスは、全身麻酔のベースとして、酸素と半々に混合して人工呼吸に使う。意識はそれでほとんど取れるが、鎮痛効果が十分でないので、吸入麻酔剤や麻薬を追加して、本格的な全身麻酔にする。

 笑気ガスは、正式名を亜酸化窒素(NO)といい、18世紀にイギリスで発見され、吸うと陶酔感が得られるので、当初はパーティーを盛り上げるためなどに使われたらしい。その後、麻酔作用があることがわかり、医療用に使われるようになった(Wikipediaより)。

 手術室には酸素と笑気ガスの2本の配管があり、天井からホースがぶら下がっていて、それを麻酔器につないで使用する。もちろん、麻酔の目的以外で使うことは許されない。

 が、好奇心旺盛な研修医は、こっそりそれを試したくなり、空いている時間に、空いている手術室で、ボクを含む3人が少し笑気ガスを吸ってみた。黒いゴムマスクを口に当て、はじめは恐る恐る吸っては口から放していたが、徐々に大胆になり、大きく吸い込むと、頭がクラクラしはじめた。

 見つかったら大事になりかねないところだが、笑気ガスで気が緩んだのか、3人はまるで中学生がタバコをまわしのみするように、ゴムマスクをやり取りした。

 そこへ突然、指導医が入ってきて、「おまえら、何をしてる」と怒鳴られた。まずいと思ったが、現場を押さえられたので逃げも隠れもできない。ボクはとっさに、「患者さんがどんな感じになるのか、体験しようと思いまして」と言い訳をした。

 すると指導医は、「そうか。それはまあ、大事なことやな。実はオレも若いとき、試したことがあるんや。もちろん、患者の気持ちを理解するためやけどな」と、言わずもがなの弁解をし、「もうやめとけよ」と言っただけで、お咎めなしになった。

 このときは軽い酩酊ですぐにふつうにもどったが、小説家志望のボクとしては、この異常感覚は得がたい体験であるように思え、もう少し本格的に取材をしたいという衝動に駆られた。それで当直の夜、指導医には翌日に担当する心臓外科の麻酔の準備と称して、ひとり手術室に入り、笑気ガスを麻酔器につないで、ゴムマスクを口に当てた。100%で吸うと窒息するので、酸素と50%ずつに混合にし、取材用のノートを記録台に置いて吸入をはじめた。

 しばらくすると、頭の中にキィーンという音が響きはじめ、それが徐々に揺らぎだし、ジワンジワンというような音になって、唇が痺れてきた。聴覚が異様に研ぎ澄まされ、いろんな音がドップラー効果のように行き来する。自分の理性が確かなことを確認するため、ノートに1から10までの数字を書いてみたり、時計を見て時刻を記入したりして、同時に自分に起きている症状も手あたり次第記録した。

 やがて、手術室全体がグラグラ揺れはじめ、目の前の麻酔器のステンレスが、蛍光灯を反射して異様に輝き、手術室の扉が遠くに行ったり、急に近づいてきたりした。さらには、暗がりに白い紙人形のようなものが現れ、それがヒラヒラと踊るように見えた。暗がりになっていたのはボクが目を閉じていたからで、なかなか目が開けられず、苦労してまぶたを持ち上げると、床や天井がメリーゴーラウンドのようにまわって、ボクの身体も倒れかけの独楽のように揺れたが、気分は愉快で、なんとも幸福な気持ちになった。

 取材ノートにはそれを記録しようとするが、思い通りに文字が書けず、手に力も入らなくて、ボールペンを落としてしまったが、ボクはヘラヘラ笑っていた。すると突然、手術室の床が立ち上がってきて、ボクに襲いかかり横面を強打した。

 そこで暗転。床が立ち上がったのではなく、ボクが昏倒したのだった。

 ──

 どれくらい時間がたったのか(おそらく5分以内だったと思うが)。

「先生、大丈夫?」

 気づくと手術部の当直の看護師が、床に倒れているボクに声をかけていた。

「あ、明日の麻酔の準備をしてたんやけど、急に眠くなって、うたた寝してしもた」

 そう弁解したが、蛇腹につないだゴムマスクは垂れたままで、よく見れば笑気ガスの流量がゼロでないのはわかっただろうが、その看護師は、「当直室で寝たら」とだけ言って、部屋を出て行った。すべてお見通しだっただろうが、見逃してくれたようだ。

 こんなことを書くと、コイツ、絶対にもっとヤバいドラッグとかもやってるにちがいないと疑う人もいるだろうが、天地神明にかけて、覚醒剤や麻薬の類いにはいっさい手を出していないので誤解なきように。

 また、この体験は後年、『破裂』という小説で、主人公の麻酔科医が自室で吸入麻酔薬でラリる場面を書くときに使ったので、結果的に取材であることも事実になった。

 因みに『破裂』の執筆中、聖マリアンナ医科大学で、麻酔科の研修医3人が、麻酔薬の乱用で死亡したニュースが報じられ、他人事ではないと肝を冷やしはしたけれど。