[08]最初の手術・後編

 甲状腺がんの手術は、術野じゅつやが首の部分のみで狭いので、3人で行う(胃がんや大腸がんなどは4人でやる)。メンバーは執刀医のT先生と第一助手のボク、そして第二助手はT先生の愛弟子のM先生だった。M先生は若いながら、後に臨床教授になった優秀な指導医で、自他ともに厳しいことでも有名だった。

 ボクが初日に遅刻したとき、多くの医局員は笑ったが、あとで「外科医の遅刻はすみませんではすまんぞ」と、厳しい一言をくれたのもこのM先生だった。

 ネーベンのとき、手術室でM先生が患者さんに滅菌布を掛けているのをぼんやり見ていると、「早く自分で動けるようになってくれよ」と、不機嫌そうに言ったのもこの先生だ。新米は教えられたこと以外はすべきでない(わけもわからず動くと危ないので)と思っていたが、積極的に動くべきなんだなと教えられた。

 先に手洗いと着替えを終えて手術台で待っていると、T先生とM先生が登場し、所定の位置についた。手術は執刀医の「お願いします」の一言ではじまる。器械出しの看護師がメスを手渡し、T先生が滅菌布で囲われた患者さんの頚部に半円状の切開を入れる。無影灯に照らされた傷口に、見る見る血があふれる。

 出血を拭き取るのは、第一助手の仕事だ。ピンセットにつまんだガーゼで拭くが、タイミングがむずかしい。餅つきの捏(こ)ね役と同じで、遅いと執刀医が苛立つし、早すぎるとメスさばきの邪魔になる。ガーゼは1回拭くごとに足元に捨てる。同じガーゼで拭くと、術野が汚れるからだ。そのへんはネーベンのときに見て心得ていたので、わずかな出血を拭いただけでも、これ見よがしに捨てた。そのとき腕を動かすと動作が大きくなるので、スナップを利かせてピンセットの先だけでクイッと捨てる。すると、指導医は「コイツはわかってるな」というような目になる。

 出血を拭くと、執刀医は出血点をモスキート(先の細い鉗子)でつまむ。ボクはその根元を結紮する。結んだあと、鉗子をはずしてもらってさらに糸を締め、2回目の結紮をする。一応は練習していたので、皮膚に近いところは無難にやり終えることができた。

 続いて皮膚と皮下組織を剥離し、甲状腺を露出する処置にかかる。ボクはコッヘル(先に鉤のついた太めの鉗子)でつまんだ皮膚を持ち上げ、執刀医の剥離をサポートする。ただ持ち上げるのではなく、執刀医の操作に合わせて、角度を変え、引っ張る強さを調節する。先を読んで剥離のお膳立てをするようにコッヘルを動かすと、生意気なヤツというように、T先生がマスクの下で苦笑を洩らした。

手術はメスを使ってすると思っている人も多いだろうが、使うのは最初の皮膚切開だけで、あとはケリー(剥離用の鉗子)やクーパー(外科用のハサミ)で剥がしていく。甲状腺が露出すると、裏面の剥離と切除にかかり、第一助手のボクはふたたび止血の結紮をする。次第にデリケートな層になり、深さはそれほどでもないが、組織が脆弱になる。下手に結紮すると組織が裂ける。

「ここは慎重に結紮してくれよ」

 T先生に言われて緊張する。

「ゆっくりでいいから、しっかり結べよ」

 M先生も声をかける。リラックスさせようとしているのかもしれないが、そんなふうに言われると、よけいにプレッシャーを感じる。T先生はふだんは温厚だが、研修医があまりに鈍くさいとキレて、意地悪になると聞いていた。ある研修医は、結紮に手間取り、苛立ったT先生が、結紮のたびに「123……」と、結び終わるまでの秒数をカウントした。そんなことをされたら、よけいに焦ってしまう。

 このときの患者・Mさんのがんは、比較的悪性度の低いタイプで、切除も片側だけでよかったので、全摘や悪性度の高いがんのときより和やかな雰囲気だった。

 ただ、がんが反回神経の近くまで広がっていたので、T先生も慎重に作業を進めた。反回神経は迷走神経の枝で、ふつうの神経は脳から下に向かうが、この神経は反転して上に向かうのでこの名がある。機能は声帯と嚥下のコントロール。左右2本あり、片方が麻痺すると声が嗄れる。両方麻痺すると声が出ない。

 がんは細胞レベルで広がるので、再発の危険性を考えると、反回神経も切除したほうが安全だ。しかし、それでは声が嗄れる。声をきれいに保つには、反回神経を残さなければならない。

「たぶん、残せるやろう」

 T先生の判断で、ギリギリ反回神経は保護されたが、ボクはその一言に首を傾げた。

 たぶん?

 命がかかっている手術なのに、「たぶん」でいいのか。大いに疑問だったが、専門家のT先生でも、その場で確実に判定する方法はなく、経験と勘に頼るしかなかった。結果は神のみぞ知る(つまり、10年後まで再発の有無を見なければわからない)なのである。

 医療とはそんなものなのかと、“逆・目からウロコ”の思いだった。