[56]傍観者としての麻酔科医

 麻酔科医は外科領域のすべての科の麻酔をかけるので、それぞれの科の特徴を感じ取ることも多かった。

同じ外科系でも、第一外科(心臓と呼吸器など)と、第二外科(消化器)は、自分たちこそ外科の王道という矜持があるので、手術部内でも我が物顔に振る舞っていた。脳外科や整形外科、泌尿器科は、対象の臓器が限定されるせいか、専門職としてのプライドと、職人気質のようなものが感じられた(第二外科の乳腺や甲状腺も同じ)。眼科や耳鼻科は守備範囲も狭いし、手術の件数も少ないので、手術部では控えめな存在だった。

 麻酔科は中央手術部の家主のような立場(すべての手術に関わるので)のはずだが、直接、患者さんの治療に携わらないこともあってか、むしろ黒子のような存在と思われているようだった。だから、手術が終わりかけて手術医たちの気が緩むと、麻酔科医がそばにいることを忘れたように、外部には聞かせられないような話をすることもあった。

 たとえば、がんの手術がインオペ(転移があったり、癒着が強かったりして手術不能と判断されること)になったとき、「これで昼から日本シリーズが見れますな」と言った第二外科の外科医がいた。インオペはその患者さんが、助かる望みを絶たれたことを意味するのだから、本人や家族が聞いたら許しがたい発言だろう。

 第一外科の手術でも、手術助手が執刀医のK教授にライバルの悪口を言い合うのを聞いた。当時、K教授の後継を目指す指導医が3人いて、それぞれが教授とペアを組んで手術をしているとき、だれそれが日焼けしているのはゴルフのせいだとか、学会の途中に観光をしたらしいとか、さも世間話のように言いながら、その場にいないライバルを貶める話をしていた。教授の権威は絶対なので、どんな印象を持たれるかは、医局員にとっては重大問題だったのだ。

 第一外科の出世争いは熾烈で、当直していたときにも似たような状況を目の当たりにした。K教授が執刀した患者が夜中に出血して、止血の再手術をすることになったとき、午前2時ごろだったにもかかわらず、心臓外科グループのほぼ全員が手術室に集まってきた。教授が夜中に手術をするのに、その場にいないのは許されないという雰囲気だった。自分の存在をアピールするために、どうでもいいようなことを教授に聞こえるように口にする者もいれば、その場にいない医局員のことを、「あ、だれそれは来てないな」と、わざと聞こえよがしに言う者もいた。

 そういう人間関係だけでなく、いろいろな科の手術を見ることは、ある種、興味深いものがあった。

 たとえば、電気メスで焼灼したときの臓器のにおいのちがい。肝臓や小腸を切ったときに立ち上る煙は、ホルモン焼き屋の暖簾の間から漂ってくるのと同じで、整形外科の手術で筋肉に電気メスを入れると、やはり焼肉のにおいがした。甲状腺などは、タレをつけているのではと思えるほど香ばしい香りが立った。

 逆に臭かったのは前立腺で、小便で煮染めたような悪臭が立って、毎回、顔を背けざるを得なかった。

 ほかにも、手術の上手下手も、傍観者ならではの目でよくわかった。病棟では自信満々でイケイケの外科医が、手術になると鈍くさかったり、おどおどしていたりした。逆に、ふだん目立たず、控えめな医師が、手術では活き活きとして手際よく操作を進めたりした。

 手術もあらゆる手作業と同じく、もともとの器用・不器用があり、先天的なセンスもあって、学問的に優秀でも、手術はイマイチという外科医も少なくなかった。数をこなせば、だれでもある程度はうまくなるが、大学病院は症例数のわりに医者が多い上に、心臓外科などは、ほとんどすべての症例をK教授が執刀していたので、部下の腕前はなかなか上がらなかったのではないか。

 ほかにも解剖学の知識が重要で、それがしっかりしている外科医は、最短距離で目的の血管や臓器に到達するが、知識が不十分な外科医は、混乱したり行き当たりばったりになったりして、余計な出血や組織の損傷を来たし、手術時間も長引いた。麻酔科医は岡目八目で、外科医の腕を知っているが、それが患者さん側に伝えられることはなかった。

 麻酔科医は手術で切除した臓器をじっくり見る機会もあった。そんなものに見とれていたのはボクだけだったかもしれないが、患者さんから切り離された臓器は、何とも言えない殺伐とした印象があった。胃でも肺でも乳房でも、それまで身体の一部として生きてきたのに、血の気を失い、張りや艶も失って、ただの物質になり果てた臓器の残骸という感じだった。整形外科の下肢切断術では、電動ノコギリで切り落とされた脚が、ドサッと外回りの看護師に手渡されたりした。

 手術は命を救うために行われる。しかし、すべての命が救われるわけではない。いろいろな手術を見ながら、ボクは早くも研修医2年目で、その非情な現実を痛感せざるを得なかった。