[21]甲子園球場のバイト

 8月、高校野球がはじまると、思いがけないアルバイトの話が舞い込んだ。甲子園球場の医務室で、怪我人や急病人に備えて待機する仕事である。待機と言っても、ずっと医務室にいる必要はなく、出番がないときは、ネット裏の報道関係者がいるような席で試合を観戦できるという。

 こんなオイシイ話に手を挙げないわけにはいかない。首尾よくバイト要員に選ばれると、当日、ボクは妻といっしょに甲子園球場に向かった。許可を取ったわけではないが、1人分くらい席に余裕はあるだろうと踏んで連れて行ったのだ。

 車で球場に着くと、あらかじめもらっていた駐車許可証を示して、球場敷地内に入れてもらった。ここからすでに気分がいい。事務室のようなところに行き、特別の通用口から医務室に入った。当然、はじめは怪我人などいないから、すぐネット裏の席に移動する。妻を同伴していることにとやかく言う人はいなかった。

 しばらくすると、出場する選手に注射をしてほしいという依頼が来て、医務室に行くと、丸刈りでウォーミグアップをすませたらしい選手が待っていた。右手の親指の付け根を捻挫して、痛いので局所麻酔薬を注射してくれと言う。湿布や鎮痛剤ならまだしも、捻挫に局所麻酔薬など注射してもいいのだろうか。痛みは抑えられるだろうが、それで野球などしたら、捻挫が悪化するのではないか。

 そう思ったが、前の試合のときにも注射してもらったと言うので、同じように注射をした。

 それからしばらく、のんきな観戦が続いた。席はホームベースにもほど近く、ダッグアウトのように地面より少し低くなっていたので、目線の位置が低くて迫力があった。こんな特等席で、妻サービスもでき、しかもバイト料までもらえるなんて、恵まれすぎと浮かれていたら、思いがけない出番が来た。

 名古屋電気高校の投手が、香川県立志度商業高校の選手にデッドボールを与えたのだ。当たった場所は頭部に近く、選手は倒れたまま動かない。あーあ、大丈夫かと思っていたら、「ドクター、来てください」と言われ、はっと我に返った。

 球場関係者に誘導されてバッターボックスに行くと、倒れた選手の耳が少し裂けて出血していた。しかし、意識はあり、対光反射なども正常だったので、選手を医務室で手当することにして、試合は続行された。傷の手当ても当直のバイトで慣れていたので、簡単に終えることができた。

 医務室から出てくると、新聞記者に取り囲まれた。デッドボールを与えた投手が工藤公康選手(ご存じ、後のソフトバンクの監督)で、大会前から注目を集めていたからだろう。けがの説明を求められて、「耳の裂傷と耳介軟骨の骨折」と説明した。所属と名前を聞かれたので、「大阪大学第二外科のクゲと言います」と答えたあと、「漢字はどんな字」と聞かれ、「久しい家と書きます」と伝えた。

 席にもどると、妻が「大丈夫? 大変だったね」とねぎらってくれたが、ボクは存外、いいところを見せられたのではないかと、内心、得意だった。

 試合が終わったあと、妻は車で帰宅し、ボクは大学病院にもどって、残っている仕事にかかった。

 すると、研修医ルームのテレビに、おまえが映ってるぞと、同僚が報せてきた。急いで見に行くと、ニュース番組にデッドボールで倒れた選手の横にかがみ込むボクの姿が映し出されていた。周囲の審判や関係者は、みな心配そうにボクの診断を待っている。選手が立ち上がり、医務室に消えたあと、アナウンサーが解説した。

「大阪大学第三外科のヒサイエ先生の診断によりますと、耳の骨折とのことで……

 研修医ルームでテレビを見ていた同僚たちが爆笑した。

「おまえ、第三外科の医者なんか」

「名前はヒサイエ先生か」

「それで耳の骨折って、おまえの耳には骨があるんか」

 某スポーツ新聞の夕刊にも「第三外科」「耳の骨折」と出ていた。さすがに「久家」に「ヒサイエ」のルビまではなかったけれど。

 メディアにとって、デッドボールの怪我を診察した医シャなどどうでもいいのかもしれないが、せめて怪我の状態だけでも正確に伝えてほしかった。