[47]外科研修最後の大失態

 ヨーロッパ旅行に出かける前夜、翌朝の早い出発に備えて、午後10時すぎに就寝すると、廊下で電話のベルがけたたましく鳴った。

 今ごろだれかと受話器を取ると、前に麻酔科を「外科医の奴隷」と言った指導医のK先生の声が飛び出した。

「おまえのヘパトーマ(肝臓がん)のKさん、39度近い熱を出してるぞ。今すぐ診に来いとは言わんが、明日、朝いちばんで病院に来い」

 えーっと思ったが、どうしようもない。とにかく、ありのままを口にした。

「すみません。ボク、明日からヨーロッパ旅行に行く予定なんです」

 アホか、キャンセルしろと言われたら、従わなければならない。神仏に祈る気持ちで返答を待つと、K先生はしばらく呻吟したあと、舌打ちとともにこう言った。

「ほんならしゃあないな」

 あとで聞くと、K先生は自分も沖縄旅行に行く予定があったらしく、自分だけ休暇を取るのはまずいと思ったようだ。

 いずれにせよ、その一言で許可をもらったつもりになり、翌朝、ボクは妻とともにヨーロッパ旅行に出発した。今回はツアーに入らず、現地でホテルや切符を自分で手配するオリジナルの旅行だ。

 南回りだったので、まずタイのバンコックで、トランジットの間に空港近くの寺院を訪ね、翌朝、早くに最初の目的地、デンマークのコペンハーゲンに着いた。レンタル自転車に乗り、人魚姫の像や市庁舎、ローゼンボー城などを見て、感じのよい安ホテルに泊まり、2日目はアマリエンボー宮殿で黒い毛皮の帽子をかぶった衛兵の交代式を見たあと、チボリ公園に行って閉園ギリギリまで遊び、夜はそのまま夜行列車に乗って、次の目的地であるノルウェーのオスロに向かった。

 オスロではムンク美術館、フログネル公園、ヴィーゲラン博物館などを見て、いつまでたっても日の暮れない公園を散歩し、ほぼ白夜に近い夜を楽しんだ。

 翌朝は、早朝の飛行機でオランダのアムステルダムに飛び、妻が楽しみにしていたフロリアーデの会場に行った。フロリアーデは10年に1度催されるオランダの花博で、チューリップはもちろん、世界中から珍しい花、豪華な花が集められ、会場には人工池が作られ、大温室もあり、図鑑でも見たことのないような花が満ちあふれていた。芝生の広場もあって、そこに寝転ぶと、午後8時をすぎても昼間のような明るさで、まるで天国に来て時間が止まっているかのような気分になった。

 夜遅くにアムステルダムの運河を船で巡るナイトツアーに参加し、翌日も午前中にフロリアーデに行ったあと、午後からはゴッホ美術館とアンネ・フランク記念館(実際の隠れ家)を訪ねて、夜行列車でふたたびコペンハーゲンにもどった。

 コペンハーゲンでは、ストロイエ(歩行者天国の商店通り)で買い物をしたあと、国立美術館でレンブラントやマチス、モジリアニなどを観て、夕方からは、父がコペンハーゲンに留学していたときに親しかったK先生(日本人)宅にお邪魔して、夕食をご馳走になった。

 ホテルにもどり、翌日は買い物と博物館巡りをして空港へ。盛りだくさんのフリーツアーを楽しんで帰国の途に就いた。

 自宅には午後8時すぎに帰った。妻と2人、旅の余韻に浸りながら、気になっていたKさんの容態を聞こうと、研修医の中でいちばん気心の知れたOに電話をした。すると、Oは受話器の向こうでかすかに笑い、こう言った。

「ア・リトル・バッド・ニュース」

 Kさんはその後、重症の肺炎になって、ICU(集中治療室)に入ったというのだ。当然、ネーベンのN君では対応できず、仕方なく同じオーベンのYが代理で担当してくれたらしい。

 患者が重傷化しているのに旅行に行ったのも言語道断だが、留守中の代理を頼まずに行ったことが大きな非難を呼んだ。1年前のオーベンたちは、きちんと代理を頼んでから海外旅行に行っていたのだ。しかし、ボクはそれを知らなかったので、N君にすべてを任せて行ってしまった。

 旅行から帰った翌朝、午前7時からはじまるICUの申し送りに参加すべく、30分前に出勤すると、Kさんはすでに回復して、もとの病室にもどっていた。

「長い間、留守をしてすみませんでした」と謝ると、Kさんはやつれた顔で、「この1週間のことはほとんど覚えてません」と言った。その目はすでに、ボクを受け持ち医とは見ていなかった。

 指導医にはどれほど怒られるかと覚悟していたが、どの指導医もボクを見て、ため息をつくばかりで、叱責らしい叱責はなかった。N君には申し訳なかったので、当直を代わりにしたり、病棟の雑用を手伝ったりした。

 外科研修の最後の日、看護師長に挨拶に行くと、「もう少しきちんとした先生だと思ってたけどね」と、完全に見捨てた顔であきれられ、それは少しばかりつらかった。

[46]ネーベンが来る

 5月の後半、1年下の研修医たちがやってきて、ダメ研修医のボクもオーベンになった。

 新研修医との顔合わせは、病院の講義室で行われた。生意気そうなのとか、強面とか、調子のいいのだけが取り柄みたいのがいて、担当する相手によっては扱いに苦労しそうなのが多かった。

 その中でボクに割り当てられたのは、たまたま医学部のサッカー部の後輩で、高校の後輩でもあるN君だった。ダブル後輩の上に、人一倍素直で明るい性格なので、これほど扱いやすいネーベンはないと、ボクは密かにその幸運を喜んだ(N君にとっては、不運だったろうが)。

 糸結びを教え、採血の方法を教え、消毒の仕方、清潔と不潔の峻別、ガーゼ交換のやり方、手術前の手洗いなど、一通り説明すると、早くも教えることがなくなった。

 それで1年前にボクのオーベンだったK先生に教えてもらったときのメモ帳を取り出して、それを見ながら指導することにした。久しぶりに見たメモには、さまざまな症状に対する薬から、当直のときの緊急対応、傷の縫合の仕方、日曜日に検査部が閉まっているときに、自分で顕微鏡を使って赤血球や白血球を数える方法まで書いてあり、ボクがこの1年間でほとんど習得しなかった技術や知識が満載で、改めてK先生の偉大さに感心させられた。

 それらの知識は、ボクが十分に習得していない以上、N君に伝えることもできず、不運な彼はボクがK先生から教わった1/3ほどの内容しか会得できなかったと思う。それでも彼は不満をもらすことなく、笑顔でボクの指導についてきてくれた。

 N君については、学生時代にひとつ奇妙な記憶があった。サッカー部の練習を終えて帰るとき、たまたま2人で橋の上に差しかかると、すばらしい夕焼けの空が広がっていた。それを見て、彼が不思議そうにこう言ったのだ。

「みんな夕焼けを見たら、きれいとか言うでしょう。ボクは1回もきれいと思ったことがないんです」

 西の空一面にオレンジ色のスクリーンが広がり、夕陽は目も眩む光を投げかけ、たなびく雲をコバルト色に照らしていた。その雄大さ、華やかさは、自然の豪奢な絵巻さながらで、見る者の心を奪わずにはおかなかった。なのに、彼はこれをきれいと思わないと言う。性格のいいN君は、ふだんでも笑顔なのだが、このときは少し戸惑った表情をしていたが、ボクもどう応じたらいいのかわからなかった。

 ネーベンが来て2週間ほどたつと、各オーベンもそろそろネーベンに自立を促すようになる。採血当番やガーゼ交換などをネーベンにさせ、新しい入院があると、ネーベンに診察させてカルテも書かせる。オーベンは横で見ているだけになり、その時期がすむと、次第にオーベンは病棟に顔を見せなくなった。適宜、自主休暇を取りはじめたのだ。

 だけど、ボクはずっとN君について指導を続けた。ダメなオーベンで申し訳ないと思ったからではない。1年前のオーベンを思い出して、密かにある計画を練っていたのだ。それは海外旅行。ボクたちの上のオーベンは、この時期、2人が海外旅行に行っていた。だから、ボクもそれを楽しみに、この1年をすごしてきたのだ。

 海外旅行に行くと、当然、ネーベンは困ったことがあっても連絡がつかない。だから、ボクがいなくても問題がないように、N君につききりで指導し、独り立ちを確実なものにしようと目論んだわけだ。

 受け持つ患者さんによっては、N君に任せられない場合もある。ボクは新入院に大物が入ってこないことを祈りながら、着々と旅行の準備を進めた。そのとき受け持っていたのは、乳がんや直腸がんの患者さんで、これはネーベンでも対応できるものだった。

 ところが、6月になってKさんという肝臓がんの患者さんが入院してきた。肝臓がんは手術が大がかりで、術後管理もむずかしい。手術の予定が伸びると、術後管理が旅行の予定と重なり、キャンセルせざるを得なくなる。

 困ったなと思っていると、うまい具合に手術予定が早まり、旅行の1週間前にKさんは手術を受けることになった。手術のあとの1週間を無事にすごせば、あとは経過観察だけでいい。

 この時点でボクはN君に、「実は来週から海外旅行に行くから、よろしくね」と伝えた。強面のネーベンなら、「冗談じゃないですよ」と怒るところがだ、そこはクラブと高校のダブル後輩で、抜群に素直な性格のN君なので、「えっ」と驚きはしたが、困ったような笑顔で「わかりました」と、納得してくれた。

 問題の手術の日、N君は緊張して手術助手を務め、ボクは横に付ききりでN君をサポートした。手術当日はN君といっしょに病院に泊まり込み、術後管理に努めた。

 幸い、Kさんの経過は順調で、術後出血も感染もなく、このままだと、ボクが旅行に行っている間に退院できそうな雰囲気だった。ボクはN君に退院までにすべきことを書いたメモを渡し、「あとは頼む」と言い残して、病棟をあとにした。

 帰りのエレベーターホールで、研修医担当の指導医O先生に出会い、「君はまだ病棟に来てくれてるのか」と感心するように言われたので、「明日からヨーロッパ旅行に行くんです」と言うと、「ええなぁ」と受け流してくれた。

 これで心置きなく休暇に出かけられるはずだったのだが・・・・・・。