当時、大阪の堂島にあった阪大病院には、地下鉄四つ橋線の西梅田駅から歩いて通っていた。
今はいないけれど、そのころの地下道にはホームレスが棲みついていて、ダンボールを敷布団、新聞紙を掛け布団にして、デパートのショッピングバッグに家財道具を詰め込んで生活していた。着の身着のままで、顔は垢と日焼けでなめし皮のようになっており、伸び放題の髪はもつれにもつれて、飴で固めたようになっている人もいた。
朝、彼らのいる場所とは別に、地下鉄の駅は通勤の男女でごった返していた。だれもが決められた時間に、決められた方向に、靴音も高らかに足早に歩いている。階段、改札、スロープ、連絡路と、何かに追い立てられるように、毎朝同じ時間に同じ目的地に向かう。いずれもきちんとした身なりで、靴も鞄もヘアスタイルも、一分の隙もないまっとうな社会人ばかりである。
ボクもその中に紛れ、毎朝、時間に追われて大学病院に向かっていた。いやだなと思いながら、家で遊びたいな、小説を書きたいなと思いながら、それでも仕方ないと思いながら──。
そんなとき、奇妙な風体の男が、通勤の人混みの中をふらふらと、流れとは逆方向に歩いているのが目についた。男は明らかにホームレスで、かなり年季が入っているらしく、垢じみてほとんど色を失った上着は、袖や肩がテカテカに黒光りし、灰色のズボンは裾がビリビリに破けて、ちぎれた布キレが短冊のようにぶら下がっていた。足もとも覚束なく、酒焼けしたような顔は皺が深く、破れ帽の下からはみ出た蓬髪は、まるで濡れたモズクのようだった。
そのホームレスが、漂うように人混みを逆方向に歩きながら、ニヤニヤして何かしゃべっている。
あるとき、彼がふとボクの目の前に現れ、嘲笑うようにつぶやいた。
「よう働くなぁ。おまえ、ほんまによう働くなぁ」
熊のような黒髭の間に見える唇は、唾液で光っていた。ボクは一瞬、ぎくっとして立ち止まり、そのホームレスを見つめたが、相手はニヤリと笑っただけで、そのまま通り過ぎていった。
それからボクは、そのホームレスを見つけるたびに、目立たないように近寄って、通勤の人々にどんな言葉をかけているのか、耳をそばだてた。
彼は自分だけが現実から遊離したように、人々とは流れる時間も、見える風景もちがうと言わんばかりに存在していた。そして、不意打ちのように歩く人の前に立ち、「しんどないのんか」とか、「毎日おもろいんか」などと聞いていた。ときにはだれかを呼び止めるように手招きをし、「なあ、なんでそんなに働くねん」と、首を傾げる。もちろん、真剣に答えを求めているのではなく、まじめな勤め人たちをからかっているのである。
聞かれたほうは、一瞬、たじろぎ、不快そうにしたり、女性などは怖がったり、エリートらしいサラリーマンは苦笑したりしながら、すぐにもとの仮面のような無表情にもどって、目的地に向かって歩きだす。
ボクはそのホームレスを見て、心底、憧れめいたものを感じた。自由気ままで、何の義務も束縛も役割もなく、1日中、ヘラヘラと笑っていられる。
──ボクもホームレスになりたい! なれればどんなにいいだろう。
そういう甘ったるい羨望は、若かったがゆえの気の迷いだろう。
後年、『破裂』という小説を書いているとき、主人公の麻酔科医がホームレスになる場面を書くため、大阪駅の地下でひと晩、ホームレス体験をしてみた。3月の寒い夜で、酔えば眠れるかと思い、ビールを飲んで、そこらで拾ったダンボールを敷き、ボロコートをかぶって寝ようとしたが、寒い上に身体が痛くてとても眠れず、午前3時ごろにたまらなくなって地上へ出ようとしたら、出口がすべて閉まっていて、焦りながら徘徊して、工事中の出口からようやく脱出した。深夜喫茶にもぐり込んだものの、そこでも眠れず、始発電車が動きだすのを待って、這々の体で自宅にもどったことがある。
慣れれば凌げるのかもしれないが、ホームレスの現実がいかにつらく苦しいものか、40代の終わりにしてはじめて思い知ったのだった。