[55]網膜芽細胞腫

 医療の仕事には光と影がある。

 光の部分は患者さんの病気を治し、命を救うことで、影の部分は不治の病にかかった患者さんの死に向き合うこと。多くの人は光の部分を好むが、影の部分があたかもないかのように振舞うのは、能天気な欺瞞だと思う。

 死に至らなくても、患者さんの不幸はいくらでもある。麻酔科の研修医時代に出会ったひとつに、網膜芽細胞腫もうまくがさいぼうしゅがあった。網膜の細胞ががん化したもので、放っておくと転移して、患者さんを死に至らしめる。だから多くの場合、治療は眼球を摘出することになる。

 ボクが担当したその患者さんは、5歳の男の子だった。手術の前日、術前回診で眼科の病棟に行くと、男の子はベッドの上で幼児用のレゴで遊んでいた。

 病室には、母親と祖母が付き添っていた。ボクは手術のときに麻酔をかける者だと自己紹介をして、全身麻酔について2人に説明した。母親と祖母は目を真っ赤に泣きはらしていた。それはそうだろう。今、横のベッドで無心に遊んでいる子どもが、明日、片目を失うのだ。命を救うためとはいえ、何も悪いこともしていない無邪気な子どもが、なぜ、そんな酷い目に遭わなければならないのか。

 当の男の子は、もちろん明日、自分が片目を失うなどということはわかっておらず、カラフルなレゴを一生懸命、組み立てたり壊したりしていた。ボクが話しかけても心ここになしといったようすで、逆にうまく組み合わせた部品を高々と掲げて、ボクに見せてくれたりした。

 ボクは心に重いものを感じ、この世の理不尽を思って気持ちが沈んだ。

 網膜芽細胞腫は小児がんの一種で、がんの中では生存率が高いらしいが、それでも両親や祖父母には、眼球摘出という治療はつらいにちがいない。疫学的にも、国内で年間80人程度と言われるこの病気に、なぜうちの子が、うちの孫がという思いも拭いがたいだろう。ここにはドラマも奇跡もハッピーエンドもない。

 翌日、手術室に運ばれてきた男の子は、病棟でのまされた前投薬がよく効いたのか、ほとんど眠った状態だった。それでも小児麻酔の基本通り、ゴムマスクで麻酔ガスを嗅がせ、十分眠ったところで、点滴のルートを確保する。そのあと、筋弛緩剤を投与して、気管内挿管。小さなペニスに極細の導尿カテーテルを挿入し、眼球摘出の手はずは整う。

 眼科の手術では、術野は目なので、麻酔科医は患者さんの頭側ではなく、身体側に座ることになる。手術をする目の部分以外は、緑色の滅菌布で覆われ、顔もほとんど見えなくなる。すると、気管内チューブが折れ曲がったり(小児用のチューブは細くて柔らかい)、少しずつ抜けたりした場合、命に関わるので、麻酔器から伸びる蛇腹に沿って、覆布をトンネル状に持ち上げ、口の部分だけ見えるようにする。

 そうやって準備が整うと、いよいよ手術のはじまりとなる。男の子が目を閉じると手術ができないので、目の周りにステンレスでできた枠をはめ、上下のまぶたを引っかけて開いたまま固定する。それを見て、ボクは映画「時計仕掛けのオレンジ」の一場面を思い出した。不良少年のアレックスが、人格改造のため、残酷な映像を見せられるときに、目を閉じないようステンレスの枠をはめられ、横からスポイトで涙代わりの生理食塩水を補充される場面だ。

 執刀する眼科医は、5歳の子どもの片目を取ってしまうことを、どう考えているのか。酷いとか、かわいそうとは思わないのか。

 まだ2年目の研修医で、ふつうの感覚が少し残っていたボクはそう考えたが、執刀医たちは医療以外の発想はないらしく、あくまで治療のための眼球摘出という作業に徹していた。そうでなかったら困るだろう。センチメンタルな気分で手術などすれば、手元が狂ったり、思わぬ判断ミスをしたりする危険性があるのだから。

 無事に眼球を摘出したあと、執刀医は腫瘍の状態を見るために、その場で取り出した眼球に割面かつめんを入れた(真っ二つに切るということ)。眼球の内側は真っ黒だった。網膜を包む脈絡膜にメラニン色素が豊富なためで、青い目でも茶色の目でも緑がかった目でも、瞳孔はすべて黒であることを納得した(目の色は虹彩の色で、瞳孔は眼球の内部を見ているので黒い)。

 そこでふと思った。昨日、病室のベッドで無心に遊んでいた5歳の男の子から取り出された眼球を見て、瞳孔や虹彩の色に意識が向いたボクは、すでに一人前の医者になりつつあると同時に、ふつうの感覚を失いかけているのではないか。

 それは必要なことかもしれないが、淋しいような、恐ろしいような気もした。

[54]西梅田のホームレス

 当時、大阪の堂島にあった阪大病院には、地下鉄四つ橋線の西梅田駅から歩いて通っていた。

 今はいないけれど、そのころの地下道にはホームレスが棲みついていて、ダンボールを敷布団、新聞紙を掛け布団にして、デパートのショッピングバッグに家財道具を詰め込んで生活していた。着の身着のままで、顔は垢と日焼けでなめし皮のようになっており、伸び放題の髪はもつれにもつれて、飴で固めたようになっている人もいた。

 朝、彼らのいる場所とは別に、地下鉄の駅は通勤の男女でごった返していた。だれもが決められた時間に、決められた方向に、靴音も高らかに足早に歩いている。階段、改札、スロープ、連絡路と、何かに追い立てられるように、毎朝同じ時間に同じ目的地に向かう。いずれもきちんとした身なりで、靴も鞄もヘアスタイルも、一分の隙もないまっとうな社会人ばかりである。

 ボクもその中に紛れ、毎朝、時間に追われて大学病院に向かっていた。いやだなと思いながら、家で遊びたいな、小説を書きたいなと思いながら、それでも仕方ないと思いながら──。

 そんなとき、奇妙な風体の男が、通勤の人混みの中をふらふらと、流れとは逆方向に歩いているのが目についた。男は明らかにホームレスで、かなり年季が入っているらしく、垢じみてほとんど色を失った上着は、袖や肩がテカテカに黒光りし、灰色のズボンは裾がビリビリに破けて、ちぎれた布キレが短冊のようにぶら下がっていた。足もとも覚束なく、酒焼けしたような顔は皺が深く、破れ帽の下からはみ出た蓬髪は、まるで濡れたモズクのようだった。

 そのホームレスが、漂うように人混みを逆方向に歩きながら、ニヤニヤして何かしゃべっている。

 あるとき、彼がふとボクの目の前に現れ、嘲笑うようにつぶやいた。

「よう働くなぁ。おまえ、ほんまによう働くなぁ」

 熊のような黒髭の間に見える唇は、唾液で光っていた。ボクは一瞬、ぎくっとして立ち止まり、そのホームレスを見つめたが、相手はニヤリと笑っただけで、そのまま通り過ぎていった。

 それからボクは、そのホームレスを見つけるたびに、目立たないように近寄って、通勤の人々にどんな言葉をかけているのか、耳をそばだてた。

 彼は自分だけが現実から遊離したように、人々とは流れる時間も、見える風景もちがうと言わんばかりに存在していた。そして、不意打ちのように歩く人の前に立ち、「しんどないのんか」とか、「毎日おもろいんか」などと聞いていた。ときにはだれかを呼び止めるように手招きをし、「なあ、なんでそんなに働くねん」と、首を傾げる。もちろん、真剣に答えを求めているのではなく、まじめな勤め人たちをからかっているのである。

 聞かれたほうは、一瞬、たじろぎ、不快そうにしたり、女性などは怖がったり、エリートらしいサラリーマンは苦笑したりしながら、すぐにもとの仮面のような無表情にもどって、目的地に向かって歩きだす。

 ボクはそのホームレスを見て、心底、憧れめいたものを感じた。自由気ままで、何の義務も束縛も役割もなく、1日中、ヘラヘラと笑っていられる。

 ──ボクもホームレスになりたい! なれればどんなにいいだろう。

 そういう甘ったるい羨望は、若かったがゆえの気の迷いだろう。

 後年、『破裂』という小説を書いているとき、主人公の麻酔科医がホームレスになる場面を書くため、大阪駅の地下でひと晩、ホームレス体験をしてみた。3月の寒い夜で、酔えば眠れるかと思い、ビールを飲んで、そこらで拾ったダンボールを敷き、ボロコートをかぶって寝ようとしたが、寒い上に身体が痛くてとても眠れず、午前3時ごろにたまらなくなって地上へ出ようとしたら、出口がすべて閉まっていて、焦りながら徘徊して、工事中の出口からようやく脱出した。深夜喫茶にもぐり込んだものの、そこでも眠れず、始発電車が動きだすのを待って、這々の体で自宅にもどったことがある。

 慣れれば凌げるのかもしれないが、ホームレスの現実がいかにつらく苦しいものか、40代の終わりにしてはじめて思い知ったのだった。

[53]緊急止血手術

 麻酔科の研修で忘れることができないのは、当直の夜、特殊救急部で見た光景だ。

 緊急手術があるというので手術部で用意をしていると、患者さんは重症で、手術部に上げる前に特殊救急部で開腹したと連絡が来た。46歳の男性で、仕事中にプレス機にはさまれて、腹腔内出血で運ばれてきたらしい。

 ようすを見に行ったときのメモが残っているので、多少捕捉してほぼそのまま採録してみる。

『部屋(特殊救急部)に入ると、いつも見慣れた手術とはまったくちがう光景に出くわした。患者はすでに開腹され、小腸、大腸、大網は腹腔外に露出しているのに、患者に覆布もかかっていなければ、消毒した跡もない。術者も緑色の手術着を着ずに、手袋とビニールエプロンだけでマスクもしていない。床を見ると、一面に血がこぼれており、周辺には血に汚れたスリッパの跡がいくつもついていた。三人の術者の足は真っ赤に染まり、白衣のズボンには吹き付けたような血痕がついている。看護婦に聞くと、下大静脈が破れて後腹膜で大出血を起こしているということだった。

 患者は手術台に移される間もなく、輸送用のストレッチャーの上で、即、開腹となった。経口挿管され、人工呼吸器が作動している。心電図の甲高い音が、早鐘のごとく鳴っている。両鎖骨下と左大腿静脈に三本の点滴ルートが確保され、研修医と看護婦が三方活栓を操作して、五十ccの注射器でパックから血を吸っては輸血している。支柱には空になった輸血パックが鈴なりに吊してある。術者は腕まで腹の中に入れて、懸命の止血をしている。出血点がはっきりせず、しかも複数であるらしい。次から次へと鉗子をつっこみ、パチリパチリと止めていく。組織を剥離し、切り裂いて、一刻も早く出血点に到達しようとしている。その素早さ、荒っぽさは予定手術では考えられないほどのものだ。術者は怒鳴る。若い看護婦は血の気の失せた顔で右往左往している。誰かがコードを引っかけて、術野を照らすライトを切ってしまった。術者は「何してくれんねん」と怒鳴りながらも操作の手を緩めない。「早よつけんか! 鉗子、リスター、クーパー!」次々と器械を要求する。「吸引、吸引せんか!」若い看護婦が怒鳴られる。「マーゲン(胃)!」と言って、術者は切断した胃を後ろも見ずに投げた。胃はベチャッと床に落ちて溜まった血をはねた。しかし、だれもそんなことには目もくれない。

「いったいどこやねん。吸引、吸引してくれよ」「先生。ヘルツ(心臓)がおかしいです」「何ぃ。そらあかんがな」

 それまで早打ちしていた心電図の音が、急に乱れてピピピピピという持続音に変わった。「しっかりブルート(血)押さんかい」「メス!」術者は腹から手を抜くと、一刀のもとに左の胸を切り開いた。あまりに切れ味のよいためか、それとも出血しすぎて血がないのか、切り口には黄色い脂肪が見えるだけで、一滴も血は出なかった。「開胸器!」銀色の開胸器がかけられ、サッサッと胸膜、心嚢を切り裂くと、細かく震える心臓が現れた。「しっかりもめ!」開胸式の心臓マッサージをほどこす。「ちゃんと届いてるんか」「いえ……」「どけ、もう」術者は慌ただしく交替し、一心不乱のマッサージがはじまる。「ボスミン(強心剤)!」「もっと細い針に替えて、ブルー針に決まってるやろ」「あかん、腹から出とんねや。吸引せえ。もっとブルート押さんかい」「カウンターショックや。取ってこい」看護婦が鉄砲弾のように飛び出す。「ここにあるやないか。準備せえ」電気除細動器がセットされる。二つの端子で心臓をはさむように胸にあてがう。「行くで。行きまっせ。それ!」ガタンと音がして、患者の体全体がストレッチャーの上で跳ねる。「どや」「動かんかい」「ボスミンや。ボスミンをもう一本吸うてくれ」「これ何本や」「三本です」「カテラン針にせえ」瞬時を惜しんでの心臓マッサージが続く。

「ブルートありません」「何ぃ、頼んだあんのか」「十パック言うてます」「足るか。誰のでもええ。A型の血、みな持ってこい」「あ、日赤の車来ました」看護婦が取りに走る。自動扉が開いて、日赤の職員が血液パックを入れた籠を持って立っているところへ看護婦が走ってきて、もどろうとすると、日赤の職員は「あの、一応サインしてもらわんと」とボードにはさんだ書類を見せた。

 術場では再三カウンターショックが用いられている。その度に患者の身体はガクンと飛び上がる。ショックをかけては心臓の動きを見る。心臓はしばらく弱々しく拍動し、また細かく震えだす。「もう一回、ボスミンや」「もっと元気よう動かんかい。しっかり打たんかい」「ここまでやったんや。ヘルツでへばるやなんて殺生な。頼むわ。動いたってぇな」「先生、そけい部、腫れてきました」「うん。下にももれてるからやろ……。しっかり入れてんのか」「入れてますけど」「何ぼ入れてもアカンわ。後腹膜にもれて、ヘルツまで返ってこんわ」「外来で腹開くの、久しぶりやな……

 術者は心臓マッサージの手を離した。細かく震える心臓を見ている。「もう一回だけショックやるか」ガクンと患者の身体が跳ねて、腕がだらりと台から垂れた。「何ぼ入れても返ってこん。ブルートもうええわ」

 術者の手の動きが急に緩慢になった。人工呼吸器だけが空しく肺を膨らませている。

「血の海言うけど、こりゃ血の山やな」床の上で凝血した血の塊が積み重なって盛り上がっていた。』

 この患者さんは、結局、両側の腎静脈断裂と左腎動脈断裂、膵頭部断裂で、大出血を起こしたのだった。ドラマや映画では、凄絶な救命処置で患者さんが奇跡的に救命されるのだろうが、現実ではそういうことは起こらない。

 メモの最後にはこうある。

『患者の蒼白な顔は、浴びた自らの血しぶきを除けば、やすらかな寝顔だった』