第二外科では乳がんの患者さんも扱っていた。
乳がんは、今は温存手術が主流だが、ボクが研修医だった40年ほど前は、ハルステッドの手術といって、乳房を全摘するだけでなく、その下の大胸筋や小胸筋まで切除するのが定型だった。
その手術をすると、皮膚が肋骨に貼りついたようになり、むかしの絵にある鬼婆の胸のようになって、ふくよかな健側の胸に比べるとかなり悲惨なものがあった。腋の下のリンパ節も郭清(取り除くこと)するので、手術後に患側の腕がリンパ浮腫で腫れる人もいた。しかし、これも命を守るためだからと、患者さんに納得してもらっていた。
ボクも何人かの乳がんの患者さんを受け持ったが、たいてい高齢だったので、表面上、乳房を失うことにさほどの抵抗を示さなかった。
その中で、42歳で未婚のHさんだけは、入院したあとも手術を迷っていた。
「わたしはまだ若いし、これから結婚するかもしれないから」
「そうですね」と、相槌を打ったが、心の中では違和感ありありだった。
今なら42歳で結婚を考えても、不自然ではないだろう。だが、40年ほど前は、まだ“結婚適齢期”という言葉が死語ではなかったし、当時、26歳ですでに既婚だったボクにすれば、今風に言えば「はぁっ!?」という感じだった。
そもそも、手術をするのは、命を守るためではないのか。将来、結婚する可能性があるからといって、がんをそのままにする選択肢があり得るのか(まして、結婚の可能性がそれほど高いとはとても思えない状況で)。それがそのときの正直な気持ちだった。
なんと冷たい……。
しかし、ならばどう言えばよかったのか。
──大丈夫ですよ。将来、きっと手術のことなんか気にしない男性が現れますよ。
そんな無責任なことは、もちろん言えない。やはり、ただ「そうですね」としか言えないのではないか。相手の気持ちを思いやると言っても、現実には手術で乳房を切除する以外にないのだから。
しかし、あるとき乳がんグループの指導医にこう言われた。
「女性が乳房を失うというのは、男が睾丸を取られるのと同じなんや」
ショックだった。リアルに想像すると、自分がものすごく頼りなくなる気がした。それでボクはHさんだけでなく、これまで命を守るために乳がんの手術を受けた患者さんたちの悲しみが、少しわかったような気がした。
そんなふうに、乳がんの手術は、女性にとってまさに命と引き替えの過酷な決断にほかならない。だから、今は乳房の温存手術が主流になって、患者さんの心理的苦痛もかなり軽減されたのではないだろうか。
しかし、誤解のないように付け加えるなら、医療が進歩したおかげで、乳がんは温存手術でも治るようになったわけではない。ハルステッドの手術でも、温存手術でも、死亡率に差がないので、それなら温存にしようと決めたにすぎない。
つまり、ハルステッドでも温存でも、乳がんは診断がついた段階で、転移の有無が決まっているということである(細胞レベルなので、見えないけれど)。
さらに、イタリアで行われた臨床試験では、乳がんの手術後、定期的に検査を受けて再発をチェックしたグループAと、症状が出るまで検査をしなかったグループBを比べると、Aグループのほうが早く再発が見つかって、早期に抗がん剤の治療がはじまるが、死亡時期はAグループもBグループも有意差なしという結果が出ている。
つまり、乳がんの場合は、手術のあと、定期的に検査を受ける意味はないということだ。いや、むしろ再発が早くにわかって、心配しながら副作用のある治療を受ける期間が長くなるだけ、QOL(生活の質)は低下することになる。
だから、乳がんの手術を受けたあとは、病院になど行かずに、症状が出るまで放っておけばいいということだが、日本ではまずそんなことにはならないだろう。いくら信頼できるエビデンスがあっても、心理的な不安が人々を突き動かす力のほうが、はるかに強いのだから。
(ただし、このイタリアでの検証は少々古いので、新しい抗がん剤が開発された現代では、同じ結果になるかどうかはわからない。もう一点、現在、温存手術が普及したのは、ハルステッドの手術と温存手術を無作為に比較して、有意差なしの結果が得られたからこそである。日本でこの比較試験は可能だろうか。がんはできるだけ広く切除したほうが安心だと思い込まされていたとき、温存手術のグループに志願する患者さんがいるとは思えない。そう考えると、欧米人の合理主義には敬意を払わずにはいられない。)