前回、研修医の仕事は過酷だと書いたが、レジャーもけっこうあった。
たとえば、少し空き時間があると、病院の屋上で研修医の仲間とキャッチボールをしたり、テニス部だった研修医にテニスのフォームをコーチしてもらったり、若手の指導医もいっしょにロビーで卓球をしたりした。
一度は、若手の看護師が数人集まってテニスをするというので、ボクを含む何人かの研修医がそれに参加した。場所は当時中之島にあった阪大病院から土佐堀川を渡ったロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)の横のコート。勤務中だったが、研修医は手術や患者さんの検査の付き添いなどで、病棟にいないことも多かったので、午後の二時間余り姿が見えなくても、さほど不自然ではなかった。
と、思っていたのはボクだけで、指導医にはバレていたようだ。コートからもどってくると、「遊びに行くのもいいが、新患が入ったら、顔ぐらい見てから行けよ」と、指導医に言われた。たまたまその日、ボクが受け持ちになる患者さんが入院したのだった。今なら厳重注意、いや、研修医をクビになってもおかしくないが、当時は大らかというか、昨今のような不寛容・厳罰主義の風潮はなかった。
看護師とのレジャーは、ほかにも天神祭の宵宮に行ったり、土曜日の午後にボーリング大会があったりした。いずれも研修医が全員参加で、看護師のほうはなぜか若手限定だった。そんなとき、彼女たちは病棟で研修医に厳しい目を向ける若きお局様から、親しみの持てる女性に変貌するのだった。たとえば、病棟では引っ詰め髪でことさら表情がキツくなるアイメイクの看護師が、髪を下ろし、優しいメイクになって、ボクがたまさかストライクを取ると、「センセイ、スゴーい」などと歓声をあげてくれる。もちろん、週明けにはまた引っ詰め髪になって、ボクの初歩的なミスを厳しく指導するのだけれど。
研修医全員のレジャーとしては、ほかに食道・胃疾患グループのチーフであるO講師の家で催されるガーデンパーティがあった。O講師が毎年秋に、研修医の慰労をかねて開いてくれるもので、看護師や食道・胃疾患グループの指導医なども招かれていた。総勢は三十人を超え、バーベキューの材料や飲み物だけでも相当な量だったろうが、すべてO講師の奢りのようだった。
もう40年以上も前のことで、記憶も曖昧だが、とにかく広い庭で、バーベキューグリルや飲み物と料理のテーブルが並び、研修医たちは存分に楽しんだ。O講師は最後に自宅を開放してくれ、酔っ払った研修医たちを相手に、春本のコレクションを見せてくれたりもした。そうかと思えば、同居していた母堂を呼び、すでに高齢だった母堂を自分の膝に載せ、研修医たちと記念写真を撮ったりした(その写真は今もボクのアルバムにある)。
ほかに夜のレジャーとして、カラオケがあった。病院の向かいに「山茶花」という軽食堂があり(仲間内では、「やまちゃか」と呼ばれ、そのうち「チャカチャカ」になった)、よく昼食を摂りに行ったが、夜は簡易のスナックのようになり、昔ながらのカラオケがあった。映像はなく、歌詞カードを見ながら歌うタイプだ。
この店はどういうわけか、夜は第二外科の研修医専用のようになっていて、自主当直の夜など、よく同僚と歌いに行ったが、ほかの科の研修医と会うことはめったになかった。
さらに個人的な夫婦レジャーとして、先に書いた伊勢へのドライブのほか、10月には青木繁が「海の幸」を描いた房州布良の海岸に旅行した。金曜の夜に夜行で東京に行き、そこから千葉県館山市まで行って、そのあとはバスで青木の足跡を辿った。青木が身重の福田たねを伴い、4枚の戸板に焼きごてで荒々しい海景を描いた円光寺を見て(無人で当時を偲ばせるものはなかった)、布良に到着。青木らが投宿した小谷家を訪ねると、青木が「海の幸」を描いた部屋に案内してくれ、家の人が伝え聞く当時の話を教えてくれた。
年明けの1月には、成人の日が金曜日で3連休になったので、夜行バスの往復で信州にスキーに行った。当然、帰ってきた朝から通常勤務。疲れも睡眠不足も何のそのだった。
さらには五月の連休に、やはり夜行で金沢旅行に行った。現地でレンタカーを借り、輪島の朝市で甘エビを食べ、車で浜辺を走る千里浜ドライブウェイを楽しみ、能登半島の先端の照明が文字通りランプのみの「ランプの宿」に泊まり、翌日は見附島、兼六園、金沢城などを見て、夜行で帰るという旅行だった。
ほかにも日帰りで、当時、神戸のポートアイランドで開かれたポートピア’81にパンダを見に行ったり、嵐山に紅葉を見に行ったり、奈良で開かれたムンク展を観に行ったり、大和川上流にサイクリニングに行ったりもした。
遊んでばかりで、どこが過酷なのかと思うが、遊びに気合いを入れていたからこそ、これだけ遊べたのだと思う。若さと欲のなせる業だ。
金沢から帰ったあと、ゴールデンウィーク明けに久しぶりに出勤すると、ベテラン看護師にあきれたように冷たく言われた。
「連休中、病棟に一度も顔を出さなかったのはセンセイだけよ」
「そうなんですか。すみません」
一応、恥じ入るふりをしたが、心の中ではカエルの面にナントカだった。