ボクが研修医だったころの第二外科の教授は、医学界で高名な神前五郎先生だった。
神前先生は、外科医としての技量、見識、研究のいずれも群を抜く名医で、その権威はまさに“雲の上の人”という感じだった。助教授をはじめ、各疾患グループのチーフの講師も、口を聞くときには居住まいを正し、緊張の面持ちとなる。助手などは畏まって、まともに顔も上げられない。そんな状況だから、研修医に至っては直接声をかけてもらえることなど滅多になく、そもそも眼中にないという感じだった。
それでも、医局会で新入院の患者紹介をするときには、たまに声がかかる。何か言われた研修医は、それこそ天皇陛下からお言葉を賜ったかのように、平身低頭しなければならない。
ボクも特発性血小板減少症(原因不明で血小板が減る病気。体内で血小板を壊す脾臓を摘出するため外科に入院)の患者さんを受け持ったとき、新入院紹介で、血小板の値を報告したら、「止血関係は☓☓君が詳しいから、相談しなさい」と言われた。
このときは「ははっ」と頭を下げるだけでよかったが、次にちょっと複雑な大腸がんの患者さんを受け持ったとき、シャウカステン(X線フィルム観察器)に大腸のバリウム検査のフィルムを掛けると、教授が「バオフィンベンはどこかね」と聞いた。
──バオフィンベン。
はじめて聞く言葉だった。“雲の上の人”である教授に、「それ、何ですか」と聞くわけにもいかない。医局会の参加者は、当然のごとくボクの答えを待っている。この場でバオフィンベンを知らないのは、ボク1人のように思えた。
仕方がないので、X線フィルムを今一度凝視して、覚悟を決めてこう答えた。
「バオフィンベンは、……ちょっとわかりません」
そんなこともわからんのか! と怒鳴られるかと思いきや、教授は「わからない? ふむ、そうか」と納得し、ボクは無事、患者紹介を終えることができた。
キツネにつままれたような気分で、医局会が終わってから指導医に、「さっき、神前先生が言ってたバオフィンベンて何ですか」と聞いた。すると指導医は、「何や、君、バオフィンベンを知らんと答えとったんか。そのわりに教授も納得してたやないか」と、あきれながら感心した。
バオフィンベンは、回盲弁(回腸と盲腸の間の弁、すなわち小腸と大腸の境目)のことで、ボクは全体がドイツ語の単語だと思ったからわからなかったが、正しくは「バオフィン弁」で、バオフ(Bauch)はドイツ語で腹だから、落ち着いて考えれば、見当はつくはずだった。しかし、相手が“雲上人”だったので、畏まりすぎたのだ。ボクが紹介した患者の回盲弁は、バリウムに隠れて場所がわかりにくかった(だから、教授が訊ねたのだが)。いずれにせよ、教授に箸にも棒にもかからないダメ研修医ぶりがバレなくてよかった。
余談ながら、神前先生と言えば、山崎豊子氏の『白い巨塔』の主人公、「財前五郎」のモデルだと思っている人も多いが、これはまったくの誤解。山崎豊子氏の秘書を50年以上務めたNさんから直接聞いたのだが、「財前」という名前は、山崎豊子氏の知り合いの映画関係者の財前定生氏から借りたもので、「五郎」は、山崎氏が悪役には濁点の名前をと考えていたので命名したものである。その後、神前先生の存在を知り、財前五郎と1字ちがいの偶然に、山崎氏もNさんもびっくりしたとのことだった。
神前先生はさすがに大物で、小説のことで大騒ぎすることもなく、それどころか、Nさんによれば、山崎氏が『続・白い巨塔』を執筆する際、財前を逆転敗訴させるための資料を求めると、神前先生は親切に取材に応じてくれ、有益なアドバイスをくれたとのことだった。
その当時、神前先生は大阪府立成人病センター(現・大阪国際がんセンター)の部長で、第二外科の教授になったのは『白い巨塔』発表の10年後である。しかし、『白い巨塔』の舞台である「浪花大学」が阪大をモデルにし、財前の専門分野も神前先生と同じ消化器外科だったので、医局員の多くもモデルにちがいないと思っていたようだ。神前先生は雲の上の権威者なので、だれも畏れ多くて本人に確かめることができない。神前先生自身も話題にすることがなかったので、よけいに医局員たちは『白い巨塔』には触れられないまま、モデル情報が一人歩きしていたらしい。一部では、名誉毀損の裁判が密かに進行中という都市伝説まで囁かれていた。
その後、2003年にフジテレビで唐沢寿明主演の『白い巨塔』がドラマ化されたとき、妻の知人が、「ネットで財前五郎のモデルの写真を見つけた」と興奮気味に言うので、スマホの画像を見せてもらうと、やっぱり神前先生だった。
世間の誤った情報は、なかなか訂正されないのである。
(追記。先日、ある同級生に聞くと、神前先生は外科学の第1回目の講義で、「私は財前五郎のモデルではありません」と、明言したとのことだった。ボクにはまるで記憶がない。例によって講義をサボッていたか、出ていても居眠りをしていたのだろう)