[33]糞まみれの危険

 外科医の仕事は3Kで、“キケン”は手術や針刺し事故によるウイルスの感染、“キツイ”は手術後の重症管理で病院に泊まり込んだり呼び出されたりすることで、“キタナイ”は糞まみれ・・・・になることだろう。特に消化器外科医、なかでも大腸疾患グループの医シャは、日々、糞に直面しなければならない。

 大腸がんの検査で行う大腸カメラは、今はモニターを見ながら手元で操作するが、ボクが外科医だったころは、手元のレンズをのぞきながらやっていた。カメラの先端が奥に進むにつれ、手元のレンズは患者さんの肛門に近づく。必然、レンズをのぞく医シャの顔も近づく。検査は大腸内に空気を送り込んで膨らませて行うので、ときに放屁が起こる。ただのガスならまだいいが、往々にして屁しぶきとなる。あっと思った瞬間、薄黄色いスプレーを浴びせられる。そういうときには、〽ワタシャなんでこのような、つらい務めをせにゃならぬと、胸中で呻いたものである。

 研修医のときに糞を浴びる危険性が高いのは、人工肛門の処置だった。

 人工肛門というと、器械か器具をお尻に装着するようなイメージがあるかもしれないが、そうではなくて、大腸の切り口を腹部の穴から体外に縫いつけたものである。

 なぜそんなことをするかというと、直腸がんではがんを含む直腸を切除して、残った上下を縫い合わすとき、がんが肛門に近いと縫い代が取れず、場合によっては肛門ごと切除することもあるからだ。そんなとき、便の出口を作る必要があるので、大腸の断端をヘソの左側に開けた穴から体外に引っ張り出して、内腔を露出する形で皮膚に縫いつける。これが人工肛門で、見た目はヘソの横に穴の開いたウメボシをくっつけたようになる。

 ふつうの肛門の場合、便がもれないのは“肛門括約筋”という筋肉が出口を閉めているからで、人工肛門の場合はそれがないから、常に便がもれ出る状態となる。それでは困るので、パウチという粘着板付きのプラスチックバッグを貼り付けて、便を溜めることになる。このパウチの交換のときに、油断すると大腸の蠕動により便汁が噴出するのである。

 腸の動きは不随意だから、患者さんに責任はないが、間が悪いと悲惨なことになる。だから、できるだけ速やかに交換するのだが、周囲の皮膚がただれていたり、消毒に手間取ったりすると、危うい時間が続くことになる。

 特に、手術後1週間めに、人工肛門を縫いつけた周囲の抜糸をするときは時間がかかり、粘膜の奥に隠れた糸をさがしたり、ピンセットでうまくつかめなかったりすると、あたかも時限爆弾の処理班のような緊張があたりを支配する。患者さんも息をひそめているが、グルグルと腸雑音が聞こえたりすると、横にいる看護師が無言のアラームを発し、不慣れな研修医は、それこそ導火線に火の着いた爆弾を抱えたように気分になる。

 そんな処置が必要な人工肛門を忌避する人も多いが、今はパウチも改善され、便がもれたり、皮膚がただれたりすることもずいぶん減った(逆に言うと、以前はそういうトラブルが少なくなかった)。ヘソの横に自分の大腸の切り口が露出しているなんて、想像の域を超えていると感じる人もいるかもしれないが、服を着れば外からはわからないし、においがもれることもない。入浴も可能だし、うまく管理すれば、パウチをはずしてガーゼを当てるだけで長時間すごせるようにもなる。

 少し考えればわかるが、大腸は1本の長い管で、当然ながら便は出口に近づかなければ外へは出ない。であれば、出口から奥までを空っぽにしておけば、次の便が出口に到達するまでは、何も出ないことになる(大腸は消化液などを分泌しないので)。それが“洗腸”という管理法で、大腸全体の浣腸のようなものである。

 具体的には、1000から1500mlの微温湯を、点滴の要領で10分程度かけて人工肛門から大腸に注入し、数分待ってから注入具を抜くと、断続的に大腸内の便がほとんどすべて排泄される。処置にかかる時間は約1時間。慣れればこれで丸1日、人工肛門から便が出ることはなくなる。

 それでもやっぱり人工肛門は受け入れられないと思う人も多いだろうが、何事にもいい面と悪い面があるように、人工肛門にもいい面はたくさんある。

 まず、痔になる心配がない。さらには便秘に悩むこともない。排便時にきばりすぎて、脳出血を起こす危険性もない。

 さらに高齢になって介護を受けるようになったら、人工肛門はふつうの肛門よりはるかに優れている。自然肛門の場合は、股関節が拘縮していたりすると、オムツの交換のたびに、痛い思いをして股を開かされ、介護者はバネのように閉じようとする脚を押さえながら、股ぐらに手や顔を突っ込まなければならなくなる。当然、悪臭が広がることも防げない。

 陰部洗浄も自然肛門の場合は厄介で、介護者もたいへんだが、当人も恥ずかしい思いに耐えなければならない。人工肛門であれば、そんな苦痛や不便はいっさいなく、ベッドに寝たまま簡単にすませられる。

 高齢者医療の現場に長くいた経験からすれば、寝たきりになった人は、直腸がんでなくても人工肛門にしたほうが、当人にも介護者にも、メリットは多いと感じる。ボクが寝たきりになったときには、もし人工肛門にしてもらえるなら、自費でも迷わずお願いするだろう(ただし、認知症になった場合はこのかぎりにあらず。ご想像の通り、認知症になるとパウチが理解できず、無闇に剥がして・・・となる危険性が高いので)。