[48]2年目は麻酔科で研修

 2年目の研修は、麻酔科で受けることになり、71日から大学病院の4階、中央手術部にある麻酔科医局に出勤した。

 手術開始が午前8時なので、麻酔の準備はその前にしなければならず、さらにその前に当日の麻酔の検討会があるので、出勤時刻は午前7時だった。家を出るのは午前6時すぎで、いつも早朝に目が開く今なら何ともないが、当時は眠くてつらかった。

 麻酔科は小さな所帯で、Y教授とT助教授以下、指導医は56人しかおらず、中には大酒のみだったのが、キリスト教に目覚めて禁酒した先生や、北新地での飲み会では、カウンターの向こう側に入って酒を作るような変わり者の先生もいた。

 教授のY先生は、第一外科から麻酔科に移った人で、当時、年齢は40代前半。医学部の教授の中ではダントツに若かった。それでも、第二外科のときのイメージがあるので、教授は雲の上の存在で、近寄りがたいものを感じていた。黒髪に太い眉、濃い目で、白皙の秀才教授という印象で、研修の挨拶に行ったときも、しかつめらしい顔で「うむ」とうなずくだけで、笑顔のえの字もなかった。

 ところが、研修がはじまって間もなく、うっかり医局に眼鏡を忘れて手術室から取りにもどると、Y教授がボクの黒縁の大ぶりな眼鏡をかけて、「どうや。似合うか」とおどけて見せたので唖然とした。ほかの教授ではあり得ないお茶目ぶりだった。

 しかし、検討会のときは当然ながら教授としての威厳を保ち、指導も厳しかった。

 検討会では、その日のライター(麻酔責任者)に、担当する患者の病名、年齢、検査データなどを報告し、どの麻酔法を選ぶかを決める。病歴や検査データは、前日に術前回診と称して病棟に行き、カルテから引き写し、そのあと病室で患者さんに麻酔の担当医であることを告げた上で、簡単な診察と麻酔についての説明を行う。

 患者さんへの説明で、欠かせないのが、挿管のときに前歯が折れる可能性があるということだった。

 挿管とは、手術中に人工呼吸をするため、口から気管に小指ほどの太さのプラスチックチューブを差し入れることで、口を開けただけでは気管の入り口(声門)が見えないので、喉頭鏡という湾曲した鉤状の器具を使う。手術台の上で静脈麻酔薬で眠らせた患者さんの頭側に立ち、右手の親指と人差し指で口を開いて、鉤の部分を口に突っ込む。まず鉤の側面で舌を横にどけ、さらに鉤を進めると、声門を塞ぐように親指くらいの軟骨のフタが見えてくる。それが喉頭蓋こうとうがいで、ものを飲み込むときに気管に入らず食道に進むのは、このフタが声門を塞ぐからである(ゴックンのときにのど仏が上下するのがその動き)。

 喉頭蓋を確認すると、鉤の先端をその付け根に当てて、ぐいと持ち上げ、気管の入口が見えるようにする。このとき、喉頭鏡の根本が前歯に当たり、梃子の支点のようになって、前歯が折れることがあるのだった。もちろん、できるだけ前歯に当てないようにするが、顎の形によっては、当てなければ鉤の先端が喉頭蓋に届かない場合もある(顎の小さい人や、顎と首の境目がわかりにくい人などが要注意)。その場合は、極力、前歯に力をかけないようにするが、高齢者で歯がぐらついている人などは、ほんのわずか当たっただけで、メギッといやな感触になることが多い。高齢者で歯が1本もない人(入れ歯は手術前にはずしてもらう)は、歯茎に喉頭鏡が当たるとすぐに出血して、血みどろの挿管になったりする。

 検討会では、その日に使う麻酔法を決めるが、選択肢はたったの3つ。フローセンという吸入麻酔薬を使うGOF(Gは笑気ガス、Oは酸素、Fはフローセンの略)、エトレンという吸入麻酔薬を使うGOE(Eはエトレンの略)、そして麻薬を使うNLAの3種である。どれを選ぶかは研修医に任されていた。

 フローセンには肝障害の副作用があるので、肝機能の悪い患者さんには使えないが、それ以外は何を使おうと自由だった。つまり、毎回、GOEかNLAにしても問題ないのだが、それでは芸がないので、適宜、目先を変えるというのが実態だった。だから、肝機能の悪い患者さんにGOFを選ばないかぎり、ライターに麻酔法の変更を求められることはなかった。

 当時はまだ麻酔科の歴史が浅く、使える麻酔薬も種類が少なくて、麻酔法のバリエーションも限られていた。その分、研究の余地が多くあって、指導医たちは麻酔薬の副作用や覚醒遅延(麻酔がなかなか覚めないこと)、あるいは麻酔中の事故や突発事、筋弛緩剤の用法など、それぞれのテーマで研究を進めていた。

 一方で研修医には学ぶこともさほど多くはなく、担当する手術が終れば業務から解放されるので、相変わらず小説に気持ちが向いていたボクには、実に好都合だった。