今は麻酔法も進歩して、ボクがやっていたころとは隔世の感があると思うが、40年前はほぼこんな感じだった。
朝の検討会が終わると、医局から手術室に移動し、麻酔器の横にあるワゴンに必要な薬剤や気管チューブなどを用意する。そのあと、天井から垂れ下がった酸素と笑気の配管を麻酔器につなぐ。逆につなぐと患者さんが死ぬので、それぞれ色とアダプターが異なっていて、まちがいようがないようになっている。
使う薬は、挿管のときに一時的に患者さんを眠らせる静脈麻酔薬、筋弛緩剤、筋弛緩剤の拮抗薬(筋力をもどすときに使う)などである。GOFやGOEのときは、麻酔器にセットされた気化器の残量を確かめ、NLAのときは使用する麻薬を用意する。
準備万端調えて待っていると、病棟から患者さんがストレッチャーで運ばれてくる。全員同じ患者着で、毛布をかけられ、頭には紙製のシャワーキャップのようなものをかぶせられている。前麻酔(気持ちを鎮めるために病棟で投与される鎮静剤)のため、意識がもうろうとしている人も多いので、名前を確認しても曖昧な返事しかないこともある。以前、横浜の病院で、患者さんの取りちがえ事件(心臓病の患者さんと、肺がんの患者さんを取りちがえ、逆の手術をした)が起きたのは、こういう状況が原因だったのだろう。
全身麻酔では人工呼吸を行うが、その理由は、筋弛緩剤で筋肉を緩めると、呼吸筋も動かなくなって、呼吸が止まるからだ。なぜ筋弛緩剤を使うかと言うと、麻酔で痛みを抑えても、メスで切ると筋肉が収縮して、手術がやりにくいからである。
挿管するときは、当然、意識があるとできないので、静脈麻酔で一時的に眠らせる。さらに、嘔吐反射を防ぐため、短時間作用の筋弛緩剤で、反射が起こらないようにする。
このときに使う薬(サクシン)は、脱分極性の筋弛緩剤で、効きはじめに頭から足に向かって、ブルブルと一過性のけいれん(Fasciculation=線維束性筋収縮)が起こる。それが全身の筋肉が弛緩したという合図で、それが終わらなければ挿管はできない。
その状態(意識もなく、呼吸も止まっている)で、患者さんの口を開き、喉頭鏡を入れて、声門を確認しながら気管チューブを挿入する。
一時的に眠らせたり、短時間作用の筋弛緩剤を使うのは、めったにないけれど、挿管不能のときに、自分で呼吸するようにもどってもらわなければならないからだ。
逆に言うと、挿管にはタイムリミットがあるということで、Fasciculationが終わると、挿管の秒読みがはじまる。不慣れな研修医は、ただでさえ緊張しているのに、意地悪な指導医から、「早よせな患者が目を覚ますぞ」などとプレッシャーをかけられて、ますます焦る。
それで声門がしっかりと見えていないのに、エイヤッと気管チューブを押し込むと、たいてい食道挿管(チューブが食道に入ってしまう)となり、アンビューバッグ(麻酔器についている黒いゴムの送気用バッグ)で空気を送ると、胸は動かず、腹が膨れて、やりなおし(指導医と選手交替)となる。
無事に気管チューブが声門を通過すると、喉頭鏡を抜き、手元の注射器でチューブの先端についているウィンナーソーセージほどのバルーンを膨らませる。送った空気がもれないようにするためである。
チューブの位置が浅すぎて、バルーンが声門に当たっていると、あとで患者さんの声が出なくなったりするので、しっかり通過させなければいけない。しかし、奥まで入れすぎると、チューブの先端が気管の分岐部を超えて、片肺挿管になってしまう。だから、挿管後は、アンビューバッグで空気を送って胸が上下しても、必ず聴診器で両方の肺に空気が入っていることを確かめなければならない。
挿管が無事に終わると、静脈麻酔薬とサクシンの効果が切れる前に、本格的な全身麻酔に移行する。すなわち、酸素と笑気を送り、吸入麻酔薬や麻薬をスタートして、長時間作用の筋弛緩剤(ミオブロック)を投与するのである。
通常は、ここで気管チューブを人工呼吸器につなぐが、研修のはじめの3カ月は、修練のために、アンビューバッグを手で押し続けるよう指導された。肺に空気が出入りする感触や、気道内圧の感覚を習得するという名目だったが、これはかなり面倒臭かった。
呼吸は吸気と呼気が同じ長さではなく、1分間に15回の呼吸として、吸気(バッグを押す時間)は1.5秒、呼気(バッグを放す時間)は2.5秒にしろと言われた。これを4時間の手術なら、15☓60☓4で3,600回、バッグを押し続けなければならない。血圧や脈拍、尿量などを測り、記録用紙に書き込みながらで、単調かつ多忙な作業だった。
午前と午後にまたがる手術のときは、昼食を摂る間、指導医が麻酔を交替してくれる。研修医がアンビューバッグを押していても、たいていの指導医は、交替の間、人工呼吸器につないでしまう。ベテランの指導医が手押しなどできるかいというわけだ。
ところが、Y教授が昼食の交替に来てくれたとき、もどってみると、アンビューバッグを押していた。雲の上の存在である教授が、研修医と同じく面倒なバッグの手押しをしている。ボクはその姿に感動した。率先垂範。さすがは自他ともに厳しい人だった。