[25]うつ病の研修医

 研修医の仕事は過酷だ。

 しかし、それはやりようにもよる。ボクのように適当だと、そうでもないが、まじめにやるといくらでも過酷になる。たぶん、X(差し障りがあるのでイニシャルは伏せます)も、まじめにやりすぎたのだろう。

 Xは学士入学で東大を出たあと阪大の医学部に入ってきた人で、性格は温厚、ユーモアも解し、いつも柔和な笑みを浮かべていた。

 ボクは特に親しかったわけではないが、同じ研修医仲間として、雑談をしたり、たまにいっしょに飲みに行ったりもした。

 周囲が最初に変化に気づいたのは、彼がアルバイトの代理をさがさなくなったことだ。

 研修医はみんな、週に二回か三回、市中病院に当直のアルバイトに行っていた。しかし、手術の日などは大学病院に泊まり込むのでアルバイトに行けない。そんなときは、同僚のだれかに代理を頼むことになる。患者さんが急に重症になった場合などは別だが、手術の日はあらかじめわかるので、みんな前もって代理をさがすようにしていた。

 ところが、Xはそれをしない。手術の日、当然、Xは大学病院に残るから、アルバイトに行けなくなる。バイト先の病院はXが来ないと困るから、はじめのうちは予定のない者が、急遽、代理で行ったりしていた。

 しかし、それが繰り返されると、研修医たちもXの態度に不満を持ちはじめる。手術日の前日になっても、Xがだれにも代理を頼まずにいると、「明日のバイト、どうするつもりなんや」と、苛立ちながらXに詰め寄る者もいた。

 Xは「うーん」と唸って、「どうにかする」と、曖昧に答える。当然、どうにもならないから、また研修医のだれかが行くはめになり、みんなの苛立ちが募る。

 もう一つの変化は、Xが自分の髪の毛を指でよじるようになったことだ。詰所にいるときも、研修医用の机の前にいるときも、何をするでもなく指で髪の毛をよじっている。アルバイトの代理をさがせと言われたときなど、唸りながら髪の毛をよじる回転を速める。

 ボクも子どものころ、寝つけないときなどに、よく自分の髪の毛を親指と人差し指でよじったものだ。なんとなく安心感があって、それで眠れるのだった。Xが髪の毛をよじっていたのも、同じ思いだったのかもしれない。

 しばらくして、食道胃疾患グループのチーフであるO講師が詰所に来て、Xがしばらく休むと研修医たちに伝えた。理由はうつ病。今でこそうつ病で仕事を休んだり、職場を変わったりというのは珍しくないが、40年ほど前は異例だったので、みんなキツネにつままれたような顔をしていた。

 当時はうつ病に対する理解も乏しく、Xは甘えているとか、性格が弱いなどと、露骨に見なす者もいた。ところが、Xの離脱を告げに来たO講師が、「僕も若いころ、同じようになったから、彼の気持ちはよくわかる」と言ったので驚いた。

 O講師は陽気で面倒見もよかったが、若手に厳しいことでも有名だった。だから、うつ病でリタイアするXには、きっと低い評価を与えると思われていた。ところがO講師がXを擁護するように言ったので、それまでXに苛立っていた研修医たちも、なんとなく批判的な意見は控えなければならないという雰囲気になった。

 Xが休職したあと、彼が受け持っていた患者をみんなで分担することになり、ボクも1人を引き受けた。Xが書いたその患者さんのカルテを見て唖然とした。数日前に入院しているのに、現病歴も既往歴も書いてなくて、辛うじて家族関係の図だけが、頼りない線と文字で書かれていた。これでは仕事にならないだろう。よほどエネルギーが枯渇していたのだなと気の毒になった。

 Xは休養後、外科から内科に移ったが、勤務医になってからもうつ病に苦しんでいたようだ。

 うつ病の本態については、神経伝達物質のセロトニンがどうとか、海馬の神経障害がどうとか、仮説はいろいろあるが、詳細は未だに不明で、正常と異常の境界も曖昧だ。専門家も手探りで、とにかく寄り添い、理解を示さなければならないとされる。しかし、それで快復するとはかぎらず、長期化する例も少なくない。治療薬はどんどん開発されているが、いい薬が出れば患者は減らなければならないが、逆に患者数は増えている。

 この皮肉に医療者は加担していないだろうか。最近では新型うつ病とか、現代型うつ病などの新しい病名が出てきて、うつ病の範囲も大きく広がった。それで救われる人もいるだろうが、病気というある種の“アンタッチャブル”に逃げ込んで、たった一回の人生を棒に振ってしまう人もいるのではないか。自殺の危険性を考えると、及び腰にならざるを得ないし、無理に頑張ることで、取り返しのつかないことになる場合もあるだろう。

 優しさと甘やかし、厳しさと無理解は、いずれも紙一重。ほんとうに苦しんでいる人を救う方法は、どこにあるのだろうか。