ボクは子どものころから髪の毛が多くて、中学と高校でサッカーをしていたきは、髪の毛を振り乱して走るので、“ライオン丸”という渾名がついたほどだった。
そのボクが、最初に自分の薄毛に気づいたのは、大学生になって理髪店で前髪を切ってもらうとき、中央部分より左右がやや少ないと感じたときだった。だが、それも気にするほどではないと思っていた。
しかし、大学5回生のとき、三面鏡で自分を見て、ふと頭頂部の髪のボリュームが少ないことに気づいた。手鏡で頭頂部を確認すると、恐ろしいことに、わずかに地肌が透けて見えた。
そこではたと、遺伝に考えが及んだ。父は頭頂部がハゲていて、祖父は額がハゲ上がっていて、写真で見る曾祖父は海坊主のようなハゲ茶瓶だった。ハゲ方が遺伝的に順繰りだとすれば、ボクはハゲ茶瓶の番になる。
大学を卒業して研究医になると、自分だけでなく、周囲にも薄毛が気づかれだした。
「おまえ、髪の毛、薄いんとちゃうか」
相手は悪気なく言うのだろうが、こちらは胸に大砲の弾を受けたくらいにドキンとする。背後に人が立ったり、座っているときにだれかが後ろを通ったりすると、ゴルゴ13並に神経過敏になって、後頭部を見られているのではないかと緊張した。
そんなとき、雑誌か何かで「ミラクルグリーン」という薄毛予防剤の宣伝を見つけた。まだコマーシャルを信じるほどに未熟だったボクは、そのネーミングに期待して購入した。薄毛は男性ホルモンの影響が強いので、それを抑制すれば薄毛は防げるというのが謳い文句だった。増強するのではなく、抑制するというところに、一抹の不安を覚えたが、その話をすると、額がハゲ上がりつつあった研修医のYと、全体が薄くなりつつあった指導医のS先生が、自分もその薬を使いたいと言い出した。
それから3人は顔を合わすたびに、互いの効果を確認し合うようになった。むろん、すぐには変化は現れない。S先生は東京の出身だったので、標準語のアクセントで、「どんな感じ?」などと聞いてくる。ボクが「夜、寝るとき、枕が少し遠くなったような気がします」などと答えると、「じゃあ、効いてるんじゃない」と、表情を明るくしたりした。
しかし、結局は3人ともやめてしまった。効果を信じようにも、無駄であると認めざるを得なかったからだ。
以後もボクは薄毛対策には腐心し、外務省の医務官としてパプアニューギニアに赴任したときは、逆に、いっそのこと髪の毛がすべてなくなれば、薄毛対策も不要だろうと、シンガポールに出張したとき、現地の理髪店でスキンヘッドにしてもらった。帰宅すると、子どもたちが「フェスター、フェスター」とまとわりついてきた。アダムスファミリーに登場する丸ハゲのフェスターおじさんに見えたのだろう。
スキンヘッドにすると、薄毛対策は不要になったが、髪のあるところはすぐ生えてくるので、毎日、髭剃りの要領で剃らなければならず、これはこれでけっこう面倒だと知った。
40代半ばのとき、「リアップ」というナイスなネーミングの増毛剤が出て、いかにも効果がありそうだったので使ってみることにした。これは頭皮に塗る液状タイプだったので、医学的に効果を判定するため、毎朝、頭の右半分にだけ塗ってみた。塗らない左に比べて有意差があれば、同じ人間の頭皮で同時に試すのだから、この上ない比較試験のエビデンスとして認定できるだろう。
5カ月間、休まず実験を続けたが、左右差はまったく見られず、残念ながらボクには無効であることが判明した(ウサギの耳にコールタールを塗って世界初の人工がんを作った山極勝三郎博士は、3年以上も頑張ったのだから、ボクももう少し続けるべきだったかもしれないが)。
さらに50代後半には、「プロペシア」というちょっとイヤな名前の増毛剤(英語のalopecia=脱毛症を連想させるので)が出た。これは飲み薬で、高価だけれど(半年分で約5万円)、よく効きそうに思えて、服用をはじめた。1年くらい続けたが、やはり効果が感じられないので、中止しようと思ったら、「この薬はやめると急に脱毛が進む」という恐ろしい噂を聞きつけ、やめるにやめにくくなった。それでもやはり効果がないので、漸減療法(毎日の服用をしばらく2日に1回にし、さらに3日に1回、4日に1回と、徐々に減らす)でやめることに成功した。
60代後半になると、ハゲていることに抵抗がなくなり、増毛剤への興味もなくなった。言わば“悟りの境地”に至ったわけだ。こうなれば背後に人が立とうが、上からのぞかれようが、何ともなくなる。
どうせなら、もっと早くにこの境地に到達したかった。