[09]採血当番

 研修医の仕事には採血当番もあった。

 ふつうの病院では採血は看護師がするが、新研修医はそんなことは知らないので、自分たちがやるべきだと思わされていた。まあ、練習の意味合いもあったのだろう。患者さんにすればたまったものではないが、いずれの医療行為も場数を踏む(患者さんで練習する)ことによって上達する。採血もやっているうちにうまくなるが、はじめは失敗も多いので、夏場に入院した患者さんは、下手な研修医に何度も痛い目に合わされることになる。

 今は真空の採血管を使うが、当時は注射器で採血して、それを採血管に移していた。まず駆血帯で上腕を縛り、静脈を怒張させて走行を確かめる。ぷっくり浮き出てくれればいいが、血管の細い人や脂肪の分厚い人は、指で探ってもわからない。その場合は、腕を叩いたりこすったり、患者さんにグーパーを繰り返してもらったり、反対の腕に替えたりする。それでも血管が出ない場合は、仕方がないのでとにかく針を刺す。運よく採血できる場合もあるが、患者さんが無駄に痛い思いをすることも多い。患者さんもつらいだろうが、研修医も焦りと申し訳なさと自己嫌悪で、内心は針のムシロ状態になる。

 針の角度は直角に近いほど刺す組織が少なくて痛みも軽いが、血管は皮膚に水平に走っているので、斜めに刺さざるを得ない。針先が血管に当たると、注射器内にわずかに血液がもどる。それを合図に、注射器をさらに倒して針先を血管内に進める。進めないと針先がズレた場合、採血ができない上に、血が洩れて青アザになるからだ。針は十分に血管内に差し入れなければならないが、差し入れすぎたり、方向を見誤ったりすると、血管を突き破り、また採血不能+青アザとなる。

 首尾よく必要量の血液が取れると、これを2ないし3本の採血管に移す。そのまま入れる管もあるが、凝固を止める試薬と反応させる管もあり、その採血管はよく振らなければならない。これが不十分だと、あとで検査室から血液凝固の連絡が来て、再採血となる。

 通常は肘の内側の静脈で採血するが、ときに横を走っている動脈を刺してしまうこともある。その場合はピストンを引かなくてもぐいぐい押しもどされるので、急いで針を抜き、10分ほど圧迫止血しなければならない。圧迫が足りないと、あとで大きな青アザになる。指で探って針を刺すのだから、動脈と静脈をまちがえるはずはないと思うが、不思議なことに採血がうまい研修医でも、動脈を刺していた(医療ミスはこうして起こる)。

 採血は患者さんの朝食前にしなければならないので、午前7時半には取りかからなければならない。当番の日、病棟に行くと、前日にオーダーされた血液検査の伝票と、人数分の採血管がワゴンに用意されている。研修医はそのワゴンを押して、ひとりで採血に向かうのである。血管の出にくい人や細い血管で手間取っていると、患者さんの朝食が遅れる上に、看護師からも文句を言われるので、のんびりやることは許されない。採血当番の日は遅刻厳禁である。

 そのプレッシャーのせいで、大問題を引き起こした研修医がいた。

 彼は前夜、車で当直のアルバイトに行っていて、翌朝、大学病院にもどる途中でバイクと衝突事故を起こしてしまった。相手は転倒したが、「大丈夫です」と言ったので、事故を気にしつつも、採血当番を遅れるわけにはいかないのでそのまま病院に行った。指導医に事故を報告すると、すぐ現場にもどれと指示された。病院の近くだったので、歩いて行くと人だかりができていて、パトカーが赤色ランプを点滅させていた。警察官に名乗り出ると、事故の被害者は鎖骨骨折で病院に運ばれたという。研修医は調書を取られたあと、被害者の見舞いに行って、改めて頭を下げた。

 事はそれで収まったかに見えたが、夕方、某新聞に大きな記事が出た。

『阪大病院医師ひき逃げ』

 ボクは一部始終を聞いていたので憤慨した。記事をよく読むと、事故後、医師は現場にもどって名乗り出たとは書いてはあるが、見出しだけ見ると、まるで逃げっぱなしのようではないか(今なら、わずかでも現場を離れたらひき逃げになることはわかるが、当時はこれをひき逃げというのは言い過ぎだと思った)。

 事故を起こした研修医は医局に呼ばれ、教授以下、幹部の前で事情を説明させられた。ボクはてっきり新聞に抗議するのかと思ったが、医局の判断は静観だった。さらには記事が週刊誌に出た場合、騒ぎが大きくなるので、どう対応するかが協議されたという。

 ふつうのサラリーマンなら同じ事故を起こしても、新聞はまず報じないだろう。いくら研修医でも、阪大病院に勤めていると、何かあれば新聞に名前が出るのだと、うそ寒い思いをした一件だった。

[08]最初の手術・後編

 甲状腺がんの手術は、術野じゅつやが首の部分のみで狭いので、3人で行う(胃がんや大腸がんなどは4人でやる)。メンバーは執刀医のT先生と第一助手のボク、そして第二助手はT先生の愛弟子のM先生だった。M先生は若いながら、後に臨床教授になった優秀な指導医で、自他ともに厳しいことでも有名だった。

 ボクが初日に遅刻したとき、多くの医局員は笑ったが、あとで「外科医の遅刻はすみませんではすまんぞ」と、厳しい一言をくれたのもこのM先生だった。

 ネーベンのとき、手術室でM先生が患者さんに滅菌布を掛けているのをぼんやり見ていると、「早く自分で動けるようになってくれよ」と、不機嫌そうに言ったのもこの先生だ。新米は教えられたこと以外はすべきでない(わけもわからず動くと危ないので)と思っていたが、積極的に動くべきなんだなと教えられた。

 先に手洗いと着替えを終えて手術台で待っていると、T先生とM先生が登場し、所定の位置についた。手術は執刀医の「お願いします」の一言ではじまる。器械出しの看護師がメスを手渡し、T先生が滅菌布で囲われた患者さんの頚部に半円状の切開を入れる。無影灯に照らされた傷口に、見る見る血があふれる。

 出血を拭き取るのは、第一助手の仕事だ。ピンセットにつまんだガーゼで拭くが、タイミングがむずかしい。餅つきの捏(こ)ね役と同じで、遅いと執刀医が苛立つし、早すぎるとメスさばきの邪魔になる。ガーゼは1回拭くごとに足元に捨てる。同じガーゼで拭くと、術野が汚れるからだ。そのへんはネーベンのときに見て心得ていたので、わずかな出血を拭いただけでも、これ見よがしに捨てた。そのとき腕を動かすと動作が大きくなるので、スナップを利かせてピンセットの先だけでクイッと捨てる。すると、指導医は「コイツはわかってるな」というような目になる。

 出血を拭くと、執刀医は出血点をモスキート(先の細い鉗子)でつまむ。ボクはその根元を結紮する。結んだあと、鉗子をはずしてもらってさらに糸を締め、2回目の結紮をする。一応は練習していたので、皮膚に近いところは無難にやり終えることができた。

 続いて皮膚と皮下組織を剥離し、甲状腺を露出する処置にかかる。ボクはコッヘル(先に鉤のついた太めの鉗子)でつまんだ皮膚を持ち上げ、執刀医の剥離をサポートする。ただ持ち上げるのではなく、執刀医の操作に合わせて、角度を変え、引っ張る強さを調節する。先を読んで剥離のお膳立てをするようにコッヘルを動かすと、生意気なヤツというように、T先生がマスクの下で苦笑を洩らした。

手術はメスを使ってすると思っている人も多いだろうが、使うのは最初の皮膚切開だけで、あとはケリー(剥離用の鉗子)やクーパー(外科用のハサミ)で剥がしていく。甲状腺が露出すると、裏面の剥離と切除にかかり、第一助手のボクはふたたび止血の結紮をする。次第にデリケートな層になり、深さはそれほどでもないが、組織が脆弱になる。下手に結紮すると組織が裂ける。

「ここは慎重に結紮してくれよ」

 T先生に言われて緊張する。

「ゆっくりでいいから、しっかり結べよ」

 M先生も声をかける。リラックスさせようとしているのかもしれないが、そんなふうに言われると、よけいにプレッシャーを感じる。T先生はふだんは温厚だが、研修医があまりに鈍くさいとキレて、意地悪になると聞いていた。ある研修医は、結紮に手間取り、苛立ったT先生が、結紮のたびに「123……」と、結び終わるまでの秒数をカウントした。そんなことをされたら、よけいに焦ってしまう。

 このときの患者・Mさんのがんは、比較的悪性度の低いタイプで、切除も片側だけでよかったので、全摘や悪性度の高いがんのときより和やかな雰囲気だった。

 ただ、がんが反回神経の近くまで広がっていたので、T先生も慎重に作業を進めた。反回神経は迷走神経の枝で、ふつうの神経は脳から下に向かうが、この神経は反転して上に向かうのでこの名がある。機能は声帯と嚥下のコントロール。左右2本あり、片方が麻痺すると声が嗄れる。両方麻痺すると声が出ない。

 がんは細胞レベルで広がるので、再発の危険性を考えると、反回神経も切除したほうが安全だ。しかし、それでは声が嗄れる。声をきれいに保つには、反回神経を残さなければならない。

「たぶん、残せるやろう」

 T先生の判断で、ギリギリ反回神経は保護されたが、ボクはその一言に首を傾げた。

 たぶん?

 命がかかっている手術なのに、「たぶん」でいいのか。大いに疑問だったが、専門家のT先生でも、その場で確実に判定する方法はなく、経験と勘に頼るしかなかった。結果は神のみぞ知る(つまり、10年後まで再発の有無を見なければわからない)なのである。

 医療とはそんなものなのかと、“逆・目からウロコ”の思いだった。

[07]最初の手術・前編

 ボクが研修医になってはじめてついた手術は、Mさんという40代の甲状腺がんの患者さんだった。もちろんボクが執刀するわけではなく、第一助手としての参加である。

 執刀するのは甲状腺疾患が専門のT先生だった。医局内では3人の講師に継ぐベテランで、上品な物腰で声を荒げることはないが、神経質で内面はいつもピリピリしていた。だから、怒ると怖いという印象だった。

 手術室に患者さんが運び込まれると、研修医は麻酔科医に「よろしくお願いします」と頭を下げて、手洗いに行く。手洗いと言ってもトイレではなく、消毒室で手を滅菌状態にするのである。

 消毒室には手洗い用のカランが並んでいるが、ハンドルはついていない。足元にレバーがあって、膝で水の出し止めをする。手を消毒し終えたら、滅菌されていない場所にはいっさい触れられないからだ。

 手順は、まずステンレス製の滅菌カストに入っている帽子を滅菌鉗子で取り出してかぶり、手を水で洗ったあと、ヒビテンというピンク色の消毒液を滅菌タワシにつけ、前腕からゴシゴシこすりはじめる。タワシは往復ではなく一方向きにこする(除いた雑菌をもどさないため)。黒い剛毛でけっこう痛い。手の平と甲もタワシをミリ単位の移動でこすり、最後に指を1本ずつ丹念に洗う。指の背、腹、側面を意識しながらそれぞれ30回ずつくらいこする。どうせ滅菌手袋をはめるのだから、そんなに必死にならなくてもと思うが、万一、手術中に手袋が破れたときのために、素手も滅菌状態にするのである。

 指先は爪の間もきれいにする。爪はギリギリまで切っておかねばならず、少しでも白い部分が残っていたら、「外科医にあるまじきこと」などと怒られる。

ボクは新婚だったから、左の薬指に結婚指輪はめていたが、手術のときはもちろん取る。「面倒臭いやろ」と半ば揶揄されたので、改めて見ると、第二外科の指導医で結婚指輪をしている人はいなかった。しかし、第一外科の指導医には、けっこう指輪組がいた。指導医に理由を聞くとこう言われた。

「心臓外科の連中は忙しくて、家に帰れん日が多いから、離婚率が高いんや。それをつなぎ止めるために、せめて指輪で嫁はんに忠誠心を見せてるのや」

 心臓外科医はエリートの集団だったが、涙ぐましい努力があったようだ。

 手洗いが終わると、手術ガウンを着る。滅菌カストに入っているガウンを滅菌鉗子でつかみ出し、広げて片方の紐を看護師に渡す。消毒されていない部分に触れないよう気を付けながら片腕を通し、反対側の紐を渡して残りの腕を通し、背中で結んでもらう。胸の前に垂れたマスクを持ち上げ、これも後ろで結んでもらう。紐を持つ場所も、中途半端だと看護師の手に触れる危険性があるので、外科医は端を持ち、看護師は中ほどを持つと決まっていた。

 ガウンを着終わると、滅菌手袋を看護師に出してもらい。指でつまんでどこにも触れないように注意しながら、一気に奥まではめる。

 外科医が手術に向かうときは、清潔(滅菌済み)と不潔(滅菌されていないあらゆる場所)が厳格に区別されていて、わずかでも不潔の部分に触れると、また一から手洗いをし直さなければならない。ボクは1度、手洗いをする前にうっかり鉗子でなく素手で帽子を取ってしまい、看護師に申告すると、ベテラン看護師は何の迷いもなく、滅菌カストを丸ごと使用済みにしまった。ボクが触れた帽子だけ使用済みにすればいいと思っていたので驚いたが、それくらい清潔と不潔は厳しく分けられていた。

 これだけ厳密な手順を踏むと、自ずと手術に向かう気合が盛り上がる。たまにテレビドラマなどで、手術ガウンに身を包み、両手を胸の前に持ち上げた外科医が登場するが、まさにあの気分だ。恰好だけは一人前だが、はじめての手術参加でどうなることかと不安だった。

 いや、実際はさほど不安でもなかった。手術が初体験の研修医に、そんなにむずかしいことをさせるはずはないと思っていたからだ。優秀な研修医と評価されたいなどと思っていると緊張もしただろうが、ボクは端からそういう気はなかったので、落ち着いていたのかもしれない。

(後編に続く)

(2021.11.01更新)